Re: ID400
大崎です。
In article <ud64gx9qb.fsf@PROCIDA.chiaia.net> at Fri, 04 Jun 2004 12:50:20 +0900, NAKAGOSHI Haruki wrote:
>中越@札幌です。fj.rec.fine-arts も追加しました。
こんにちは。
>一枚だけ見たら「???」って写真も、大量に見ると芸術になるん
>だなぁと感じた写真展でした。
写真では、数を見せる、ってことが重要だと思います。
過去の関連記事です。
At <19961121> "Good photograph, can it be determined uniquely ?"
"ohsaki@ihas.nagoya-u.ac.jp (Yuji OHSAKI)" wrote:
* 常に考えていることなのですが、以下にあげる
*写真を見て、一度投稿してみようかな、と思い立ちました。
*誤解のないようにしていただきたいのは、以下に例として
*あげる写真はたまたま目についただけで、特別な意図が
*あってピックアップしたわけではありません。
* アサヒカメラの最新号(12月号)のpp.44-47を見てください。
*外久保恵子という写真家が撮った「緩慢な陽光」という写真が
*掲載されています。スクエアフォーマットの白黒写真です。
*私はこの写真家をここではじめて知りました。何か特別に目を引く
*物が写っているわけではありません。ともすれば日常の中に埋没
*してしまう光景を、彼女は丹念に拾い上げています。
*私はこの種の写真が好きです。良い写真だと思います。
*眺めていると心が落ちつき、イマジネーションが広がって行きます。
*カラー写真では小林のりおの作品が好きです。
* しかし、彼女や彼の写真を一枚だけアサヒカメラや
*日本カメラのフォトコンテストに応募して入選するでしょうか。
*彼女や彼には申し訳ないですが、入選はおぼつかないでしょう。
*なぜならば、この種の雑誌のフォトコンに入選する作品は
*ヌード、祭、人物の表情、等の普通の人が見て何かが写っている
*と感じるものばかりだからです。ふつうの人が見て何も写って
*いないと感じるような写真は入選しません
*(このふつうの人の定義も難しいのですが)。
*しかし、私には外久保恵子や小林のりおの作品には何かが写っていると
*感じるし、私は良い写真だと思います。
* 私は写真をはじめたころ、アサヒカメラのフォトコンに3年間
*応募しました。しかし、いったい良い写真とは何だろう、
*と疑問に感じ、一度入選したのを機会に応募を止めました。
*あのころはまだ若かったので、どうして入選しないのか
*悩みましたが、おそらくあの種のフォトコンはゲームなのだと
*思います。結果を気にせずに楽しむものなのでしょう。
*しかし、未だに私はそのゲームが好きになれません。
* 不変的な良い写真とはいったい何か、という疑問が残ります。
At <19961127> "Re: Good photograph, can it be determined uniquely ?"
"ohsaki@ihas.nagoya-u.ac.jp (Yuji OHSAKI)" wrote:
*大崎です。
*自己反省です。
*In article <57g147$7t@news.cc.nagoya-u.ac.jp>, ohsaki@ihas.nagoya-u.ac.jp
*says...
**反面、一枚では非常に力が弱いので、
**誤解を恐れずにいうと、一枚でもインパクトのあるスキャンダラスな
**写真を求める写真雑誌のフォトコンテストには非常に不利です。
* 「スキャンダラス」と言う言葉は不適切だったかもしれません。
*「ドラマチック」程度に変更します。
At <19961127> "Re: Good photograph, can it be determined uniquely ?"
"ohsaki@ihas.nagoya-u.ac.jp (Yuji OHSAKI)" wrote:
*In article <naganuma-2211961951170001@d2-naganuma.prd.fc.nec.co.jp>
**私も小林のりお,外久保恵子は好きです。言葉を越えた何かが確実に写っています。
**日常性という言葉でひとくくりしてしまうにはあまりにも多様でもろくて不定で不
**格好な「風景」。
**いいですねぇ。 私にとっては素晴らしく良い写真です。 週末です。
* 同じ類の写真を好きな方がおられて、非常にうれしく思います。
*しかし、Nさんには申し訳ないのですが、
*元記事で私は必ずしもその確認作業がしたかったわけではないのです。
*もちろん元記事でちゃんと何を求めていたのかクリアーにしなかった
*私が悪いのですが。
* 小林のりお,外久保恵子等の写真は一枚だけを見ていたのでは、
*その意図が見えにくいところがあると思います。
*ある程度のまとまった数をみせないとその良さが
*伝わりにくいと思います。しかし、ある程度の
*写真を見せられると、その良さがジワーと頭にしみこんで来る感じで、
*非常に心地がよいです。反面、一枚では非常に力が弱いので、
*誤解を恐れずにいうと、一枚でもインパクトのあるスキャンダラスな
*写真を求める写真雑誌のフォトコンテストには非常に不利です。
* ある程度の名声を獲得されたプロカメラマンの場合は、
*そんな数を見せなければいけない作品でも発表の機会は
*確保できるのかもしれませんが、アマチュアカメラマン
*の場合は作品発表の機会がかなり制限されてしまいます。
* また、この種の写真はともすれば独りよがりな自己満足的な
*写真になってしまいがちです。それを避けるためにも弟三者の
*正当な評価を受ける必要があると思います。
*その評価の場として一番身近な写真雑誌のフォトコンテスト
*を利用しがたい、という現実に私は不満があります。
At <19961202> "Re: Good photograph, can it be determined uniquely ?"
"ohsaki@ihas.nagoya-u.ac.jp (Yuji OHSAKI)" wrote:
*In article <961202103106.M0204719@cygnus.comm.yamaha.co.jp>,
**言葉は悪いですが、全くその通りだと思います。
**私はフォトコンで鳴らしている人よりも、坦々と積み上げている雰囲気を
**持った人の方を尊敬します。
* 私もそう思います。フォトコンに入選するためには手段を
*選ばない写真家(誤解を恐れずにいうならば、彼らは写真家では
*なく、フォトコンマニアである。)
*より、自分の好きな、撮りたい写真をこつこと撮っている写真家
*の方が好きですし、そうありたいと思います。
* しかし、こうも思います。このままただ写真を撮り貯めて、
*私が死んだあとも私の作品が日の目を見ないで、
*どこかにしまわれたまま、忘れ去られてしまうのは、
*非常に残念で悲しい気がします。そう思うと、フォトコンでは
*なく別の手段(例えば、個展とか自費製作写真集とか)
*で私の作品を発表してやりたい気持ちになります。
* 作品を撮り貯めておられる他の方は、そのへんどうお考え
*なのでしょうか。よろしければ、考えをお聞かせ下さい。
At <19990210> "Re: 写真の発表、公開の方法"
"ohsaki@crl.go.jp (Yuji OHSAKI)" wrote:
*In article <79ppah$iun$1@kuee4.kuee.kyoto-u.ac.jp>
**自分にとっての記念・記録たり得ないような被写体でも、
**あくまで作品、表現として撮影し、それを通して自分の審美眼を
**研鑽するとか、(写真の撮り方に自己が投影されていると考えれば)
**写真を通して過去や現在の自己を知る、などというような
**内なる楽しみと捉えておられる方は多いのではないでしょうか。
* そういう写真撮影の効能はあると思います。よく「自分探し」
*という言葉で表現されてますが、自分が何者かを知るために
*写真を撮る、という側面もあると思います。
**個人的には、他人に見せて評価されることを目指して撮影すると、
**結局 万人受けするための写真になってしまったり、自己の価値観が
**犠牲にされてしまいがち・・という気がします。
**# フォトコン病と言ってもいいかもしれません。
* 以前はフォトコンに熱心に応募していた時期もあるのですが、
*入選するにはある種のテクニックが必要であることは感じ、
*フォトコンに入選するために撮影をしているわけではないと
*思ったので、フォトコンとは縁を切りました。
* 過去の関連記事を添付します。
*<19980208> の、
* "Re: 写真論写真 (カ・ラ・フ・ル・ラ・ン・ド (By 武田 花 ))" において、
* "ohsaki@crl.go.jp (Yuji OHSAKI)"さんは書きました:
**In article <01bd338c$521fdda0$090aa8c0@yone.jasco.co.jp>
***Yuji OHSAKI <ohsaki@crl.go.jp> wrote in article
**<6bgaae$4c@clipper.crl.go.jp>...
**** *かくして、私は誰にもまったく理解されない愚作の山を
**** *日々築き上げているのです。
**** 結局は自己満足なのです。問題はどこで自己満足するか、
**** だと思います。
***自己満足だけでは悲しいのですが、どうしてもこうなってしまう。
** 確かに自己満足では悲しい場合があります。しかし、私はKさんに
**なれないし、Kささも大崎にはなれません。完全に気持ちを共有する
**ことはできないと思います。したがって、やっぱり自己満足なのです。
**ただ、かなりの部分の気持ちを他人と共有できるばあいも時にあり、
**そのときは大変嬉しいですね。
** 「自己満足だけでは悲しい」というお気持ちが強いなら、
**公民館とか公立図書館の一室の借りて、自分の作品を見せる小さな展覧
**をされてはいかがでしょうか。何か得る物がありかもしれません。
**お金も写真を準備するくらいしかかかりませんし。
** 過去の関連記事を添付します。
**In message <199612040122.KAA20232@news.cc.nagoya-u.ac.jp>
** "Re: Good photograph, can it be determined uniquely ?"
** "ohsaki@ihas.nagoya-u.ac.jp (Yuji OHSAKI)" wrote:
*** In article <580ueu$ilg@ns.sinet.ad.jp>
*** *<57tuoa$l00@news.cc.nagoya-u.ac.jp>の記事において
*** *ohsaki@ihas.nagoya-u.ac.jpさんは書きました。
*** *: 作品を撮り貯めておられる他の方は、そのへんどうお考え
*** *: なのでしょうか。よろしければ、考えをお聞かせ下さい。
*** * 私は近所のいきつけの居酒屋に置いてもらってます
*** * 誰かが何気なく見ているお店の風景のひとつが、自分の
*** * 作品なんだ、とゆーふーな自己満足でお酒を飲むのが
*** * 好きなんですが
*** 私はお酒を飲みませんが、それはきっと良い気分だと思います。
*** * # こーゆーので、よろしいのでしょうか?
*** * # 話がずれてたらごめんなさい
*** そうそう、そんな感じで結構です。
*** * たしかに世間に良い評価をしてもらうことには魅力がありますが、
*** それは非常に魅力的です。しかし、作風を狂わしかねない
*** 危険性も持っています。
*** * お店のおばちゃんが喜んでくれるのも、結構いいもんです
*** 私は良い写真が撮れると、先ず妻に見せることにしています。
*** 彼女は写真のことを良く知っていませんが、
*** 見てくれるだけで、ある程度気がすみます。
*** 私は以前に住んでいた小さな町の公民館を借りて
*** 小さな個展をやったことがあります。鑑賞に来てくれるのは
*** たまたま公民館にやってきた、子連れの母子やおばあちゃん
*** でしたが、たまったものを吐き出すという意味では
*** 効果があったと思います。でも、いつかは新宿の
*** オリンパスギャラリーで個展を、なんて夢を抱いて
*** しまいます。
--
Webページ見にきてねヾ(^v^)k↓
http://eng-oil.hp.infoseek.co.jp/
http://ohsaki.hp.infoseek.co.jp/
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735