実は話が噛み合っていないんじゃないかと思ったり。

At Tue, 23 Mar 2004 10:38:55 +0900,
in the message, <c3o4f7$efr$1@news.mirai.ad.jp>,
Fuhito Inagawa <fuhito@za.ztv.ne.jp> wrote
>> おそらく、高度に複雑化した社会においては何が禁止される行為かということ
>> をすべて知ることはおよそ不可能であって、それは、空間的(物理的)な広り
>> だけの問題ではないでしょう。
>> 空間的な広りと同程度に社会構造の複雑化といういわば「質的広り」(あるい
>> は「深さ」)とでも言うべき点においてもまた個人の認識能力の限界はとっく
>> に超えていると思います。

この部分は、「社会において何が規制される行為であるかを完全に知ることは
もはや不可能」という話、つまり、「法律論として」罪刑法定主義といっても
犯罪となる行為について予告機能は実際には完全に機能しないという話。

>> 単に「手口が違う」だけ。

というのは、「法律論としての」罪刑法定主義とは関係なく、犯罪となる行為
の具体的形態の違いつまりただの現象の問題にすぎないという話。

つまり、わたしの言いたいのは、両者は次元の違う話であるというだけのこと
なのですが、

Fuhito Inagawa <fuhito@za.ztv.ne.jp>さまの言いたいのは、

>そうですね、「質的広り」も含めての意味で「個人の影響範囲」
>と書きました。
>そういうものが、なにもインターネットの普及とか、
>交通機関の発達とかに限った事ではなくて、電話の
>ような*かなり遠い昔*から普及しているものにも
>実はあるのであって、っていう意味で

と

>> 単に「手口が違う」だけ。
>
>で、「手口」の選択範囲に、インターネットもあると。

いう記述を読むからに、そういう話ではなくて、「行為が評価上犯罪行為に該
当するか否かを考えるに当って、時代の変遷と共に行為自体の形態の幅が広り
あるいは社会的影響がどこでどう生じるかという質的深化により、罪刑法定主
義を前提にしても具体的行為の実行行為性の判断が難しくなってきている」と
いう話のようです。

つまり、行為の刑法的評価としての実行行為性の判断が簡単でなくなっている
という話。
刑法学的に言えば、「実行行為について行為者が『評価』するにおいて法律の
錯誤ないしあてはめの錯誤が起りやすい」という話。
すなわち範囲云々と手口云々のいずれも、錯誤論あるいは実行行為性の評価で
繋っているという話。

ということならば、それはまことごもっともでよく腑に落ちるんですが……、
違います?

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SUZUKI Wataru
mailto:szk_wataru_2003@yahoo.co.jp