隣のけんちゃんさんの<c378hd$ssu$1@news-est.ocn.ad.jp>から
>MAC屋けんちゃん wrote:
>
>>隣のけんちゃんさんの<c374ak$5h9$1@news-est.ocn.ad.jp>から
>>  
>>
>>>MAC屋けんちゃん wrote:
>>>    
>>>
>>
>>
>>  
>>
>>>その「エリート」を日本国憲法は、違憲立法審査権と言う形で認めている。裁判所は
>>>勿論司法権を担うところではあるけれども、この違憲立法審査権が大きな比重を占め
>>>て政治の場面に登場する。この時、比較的新しい日本国憲法から「政治」を逆に学ぶ
>>>ことが有っていいし、またそうしなければならないし、かえってまたそれが政治を見
>>>るヒントをもたらしてもくれるのではないかと、ぼくちんは考えているわけだ。
>>>    
>>>
>>おいらは意見が違うね。
>>裁判官が政治に口出ししたり加味するからおかしなねじれが出る。
>>
>勿論そうだ。裁判官ごときが「政治」を内容に入れて語るなんざ言語道断。ぼく
>が言って
>いるのはそういうことではなく、民主主義的に?成立した法律を適用を控えるた
>めだとは
>言え、無効だとすることは、全体的に見たとき政治性を帯びてくる、と言ってい
>るんだよ。
>
たとえばどういう法律だい?


>>裁判官は、ずばりと9条の違憲をいえばよい。そうすれば改憲も陰険でない正
>>論で議論できる。裁判所が内閣総理大臣や法務省の顔色見るから、時には右翼
>>の顔色見るから、けったいなことになる。
>>
>
>ん〜な無茶な。自分の思い通りのことやらせたいだけじゃないかよ。
いや、ここはもっと深い。
別途、とりあげよう。
>
>>  
>>
>>>で、ぼくちんは、もっと広く政治全般を眺めた場合も、このような衆愚としての民主
>>>主義へのアンチ・テーゼとして「エリート」の視点を忘れてはならないだろう、と言
>>>う立場に立っているんだ!分かったかっ!!
>>>    
>>>
>>小室直樹なんかもエリート待望論だね。
>>ケン公。君ほど僕は裁判官というものを神聖視していない。エリートの視点
>>
>
>神聖視等してはいない。しかし、他方一般大衆が選挙で選んだ国会議員のやるこ
>とも神聖
>視していない。たとい、「民主主義」と言う言葉を何回連呼されようとも。で、
>そこでど
>うするかなんだよ。ある時は父ちゃんの言葉が通ったりある時は母ちゃんの言葉
>が通った
>りという形でそれぞれの立場を認めることなんだ。そうすればそれが無いときよ
>りは間違
>いが「少ない」と言うだけ。逆から言えば、どちらも常に必ず正しいわけではな
>いと言う
>認識に至る、ここが大切なんだ。
この辺はkazも同じだと思うね。オルテガの思想に近い。大衆のバかさ加減を
信用できないってことを言いたいわけだ。しかし、kazやケン公のような小金
もちはもっと下世話な考えだ。大衆の熱狂を批判するオルテガとは少々違う。
貧乏人が最大多数の最大幸福を求めたら、自分らに不利な社会になるってこと
が一番。これが本音。そこでどうするか、というもんだいなんだ。僕のような
大金持ちの自由な貴公子とは違うから。


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