MAC屋けんちゃんさんの<4055c07a$1_5@news.premium-news.net>から
>私は日本人のほうがよっぽどいやらしいと思うね。
このような好き嫌いや印象を、だれでも世界の民族は民族に対して持つもの
だ。ケン公のようにこれにふたをするというのでは、政治にはならない。
政治というのは、一つには、このような好き嫌いがあって紛争の火種になるか
らこそ、いかなる記号定義、これをルールとして約束しましょう、というもの
にするかにある。ここに、「人種の偏見をなくそう」という約束が必然性を
もって登場する。「人間平等」という約束の必然性も出てくる。この約束を各
国民族がするかしないかだ。するように教育するのが、教育の役目であり、こ
の理念を敷衍するのが、周恩来のような偉大な政治家の後姿だ。中曽根はアイ
ヌを無視して日本は単一民族国家などという政治性のないボケとは違う。この
ボケはkaz公もふたをするケン公もおなじ。直視するのと避けるのは同じ。政
治的記号定義まで行き着かない政治性のなさ。

周恩来だって、日本人なんか大嫌いなはずだ。留学中は中国をさんざん馬鹿に
された。中国を立派な国にしなければという心が彼を燃えたたせた。後年、戦
争で日本が敗れ、散々蹂躙された国民と国土に対し、一切の賠償責任の請求を
放棄し、徳をもって対応するとした態度、ナンバー2に徹して日中友好の旗頭
で角栄と平和条約を締結し戦後処理の終止符を打った叡智は、日本憎しを超え
た視点に達している。これなんかも、好悪をこえた、彼の政治哲学という記号
定義、約束で成り立っている。


kazのエタヒニン論なんて、日本人はたいてい知っていることだよ。口にしな
いだけ。さらに、約束として、だからこそ人間平等という記号定義を敷衍しよ
うという政治性にアウフヘーベンしてきたのが実態。
それを、元政治家野中攻撃や政治家土井攻撃のレベルで論じているのは、なん
とも、こっけいなくらい低次元でまるで、政治性がない。

歯亀、エタヒニン論で、中国や朝鮮問題を、解決できるか。
エタヒニン論で、改憲を論じられるか。糞kazの精神自己分析の構造化以外の
何物でもない。