神は紀元三千年に逮捕されました。
容疑は職務怠慢です。
神は完全黙秘を続け、取り調べの検察官をせせら笑っていたそうです。
そしてある日、神は拘置所から忽然とそして完全に消えました。

 アウシュビッツで生きながら焼かれたユダヤ人達は、焼かれながらみな神に祈りま
した。
文字通り、命がけで祈ったのです。
しかし神は完全無欠に無視し通しました。
人間ならどんな極悪非道な奴にもできないこと。
さすがは神と、逆に感心する人々もいます。

 神の好物は人間の悲劇、人間の苦悩、人間の苦痛であり、神はその高級嗜好品とし
て人間を栽培しておられる。
そういう説を唱える識者もおります。

 別の説もあります。
神が人に与えた判決は死刑です。
よって人は死ぬものです。
強い者と弱い者があり、そして未来永劫にそのままあり続ける。
優れた者と劣った者があり、そして未来永劫にそのままあり続ける。
悪い奴と善良な奴があり、そして未来永劫にそのままあり続ける。
死はすべてをリセットし、新規にやり直します。
死こそは、背任罪で告発されなければならない神々のなかで、ただ一人孤軍奮闘して
いる真の神なのだ。
そういう説です。

 最後に。
善悪、正邪、苦痛・快楽の価値観、そういうものはみな人間の価値基準であり、神は
そのようなものには感知しない。
そんな人間の勝手な価値基準で神を云々するのはナンセンスであるという見方もあり
ます。
蛇のオスは、人間の絶世の美女よりも蛇のメスを好みます。
人間の価値基準などというものがそれ以上のなにものであり得るというのか、という
ことですね。