Re: 【中心極限定理】のパラドック ス
M_SHIRAISHI wrote:
> 同値な事象の確率は等しいので、α≦(<X>n−μ)/(σ/√n)≦β という事象を
> 「同値変形している」までのことだ。
... (以下略) ...
ああ、ようやく何を問題にしているのかがわかってきました。
(もっとも説明されたからわかったというよりは、考えた末に
「こういうことであろう」と想像がついた、というべきですが。)
これは直接的には中心極限定理の問題ではない、というか、
それを中心極限定理の文脈で騙ろう、もとい、語ろうという話ですね。
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関数列 fn(x) を
fn(x) = n-n^2|x| (|x|≦1/n)
= 0 (|x|>1/n)
とします(n は自然数に限定せず、正の実数でもよい)。
これは x 軸を底辺とし、y 軸上に頂点のある面積 1 の二等辺三角形の
等辺を表しています(|x|>1/n の部分はオマケ)。
したがって任意の n について:
Fn = ∫_{-∞, +∞} fn(x) dx = ∫_{-1/n, 1/n} fn(x) dx = 1
Fn は常に 1 だから、明らかに lim Fn = 1。
ところが fn(x) のほうは、n が大きくなるにつれて
三角形の底辺はどんどん狭くなり、頂点はどんどん高くなる。
lim fn(x) = 0 (x≠0), lim fn(0) は発散。
これを上の積分式に当てはめると、
・第1の式では、x=0 以外のすべての x で fn(x)→0 なのに、
積分値が 0 にならないのは不合理。
・第2の式では、積分範囲が [0, 0] に収束し、一般に
∫_{a,a} f(x) dx = 0 なので不合理。
といった議論はできるわけですね。
これは確かにパラドキシカルだけど、古典解析の範囲では
関数列の極限と積分の順序交換可能性(無条件にはできない)、
一様収束性などの文脈で語られる話題ですね。
ちなみに上では fn(0) は発散するけど、底辺を [-1/n, 1/n]
から [0, 2/n] にずらす(あるいは頂点を x=1/n にずらす)、つまり
gn(x) = fn(x-1/n)
とすると、面積(積分)はそのままで、今度はすべての x について
lim gn(x) = 0
になります。つまりいくらでも高くなっていく頂点が、
極限では忽然と消えてしまいます。その結果、
「定数関数 g(x)=0 の積分が 1 になるのは矛盾!」ですね。
# これはもちろん、gn(x) の収束が一様収束でないことによります。
一方、fn(x) の極限にも意味を持たせようとすると古典的な関数概念の
拡張が必要で、それが Dirac のδ(x) にほかなりません。
実は正規分布 N(0, σ^2/n) で n→∞ とするのは、
δ(x) の「表現形式」の1つです。
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さて、M_SHIRAISHI さんの議論は、端的に言ってしまえば、
確率変数 X に対し、Yn = X/n とすると:
Pr(α≦X≦β) = Pr(α/n≦Yn≦β/n)
しかるに n→∞をとると、右辺は Pr(0≦Y∞≦0) であってこれは不合理、
といったことにあたります。これは上で
lim ∫_{-1/n, 1/n} fn(x) dx = ∫_{0, 0} f∞(x) dx = 1
は不合理、というのにほぼそのまま対応します。
中心極限定理が言っているのは、あくまで (<X>n-μ)/(σ/√n) の
確率密度関数 fn(x) が N(0, 1) に収束する、ということで、
上の議論とは直接的には関係ありません。
なお上の議論でも、そもそも Y∞ にはどういう意味があるのか
(そもそも意味があるのか)、元に戻って、<X>n はどういう意味か、
lim <X>n は何なのかは考えてもらう必要はあります。
そこが問題点の1つではある。
(平賀@筑波大)
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