A-11さんの<20040120101225.716d9d72.st8101@stex.phys.tohoku.ac.jp>から
>「>議長「アメリカ攻撃に付いての議決をとります。」」
>具体的な議決で混乱させてしまい、申し訳ありません。
>ここの部分を以下のように修正して下さい。
>「
>
>    議決をとれば、必ず賛成と反対がでるだろう。
>
>    議長「ある件に付いての議決をとります。」…(1)
>    賛成する人と反対する人がでる。
>    議長「価値相対主義によりどちらの意見も尊重して、
>    この件は可決、かつ、否決されました。」…(2)
>    議場の外では、
>    民衆「議会は何をしたんだ?」
>    公務員「俺達はどんな仕事をすれば良いんだ?」
>    信号機を失った交差点のように、
>    国民は夢にも思わぬ衝突を繰り返す。…(3)
>    どちらかの意見を殺すべきだったのだ。
>
>    一個の国家である以上どんな主義をとっても
>    相反する価値を同時に採用する事はできない。
>    さもなくば
>    価値絶対主義より酷い目に国民は遭うだろう。
>
>」
>
>価値相対主義を正しく適用するなら
>上記のどこが誤りなのでしょう?

価値相対主義は、人間の価値観というのは、個人個人違うというものです。
当然、『価値(すべき、に違いない、でなければならない)』というのと、
『事実』とは相容れないもの。『事実』から『価値』を演繹することはできな
い。『価値』は個人個人の情緒によってきまる。言論の自由、思想信条の自由
を保障し、少数意見には忌憚なく言論批判をさせて多数派に成長する可能性を
保障するものでなくてはならない。
少数だからということで、発言の機会を圧縮したり、忌憚なき言論批判の機会
を封じるのは、ベンタムの「最大多数の最大幸福」実現の思想ではない。反近
代民主制です。

政党公認も、ファッショ的党の方針に反対すれば公認しない、これは個人の言
論の自由、思想信条の自由を奪うもの、党内での反対意見を認めなければ、こ
の党は近代民制のフィードバック装置を麻痺させ、国民から乖離したファシズ
ム政党になりますね。

多数決なら何でも民主主義というのは間違いです。
人間の価値相対主義を基盤とする価値判断を保障し、少数意見には十分な忌憚
なき多数派勢力への言論批判の機会を与え、国民に、完全情報公開の場をあた
え、聞かせ、見せて、小数意見が言論で批判して多数勢力に成長する可能性を
保障する政治でなければ民主主義とはいえないのです。なんでもかんでも多数
で封じ込め、少数意見をさらに少数勢力になるように押さえつけるような手法
はファシズムです。

いくら国民投票をちらつかせても、赤頭巾ちゃんのおばあさん。よだれをたら
した牙がみえみえ。

あなたの、反論は、なんら価値相対主義にも民主主義にもかかわりのないファ
シズム議会のお話であり、思想ですね。どこかの国の単純一郎首相と同じ。