KGK == Keiji KOSAKAさんの<bs1e7e$6qm$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>! "<3fdf97ef$0$19849$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>!     Wed, 17 Dec 2003 08:41:31 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>
>> 1.Aはポイ捨てする
>> 2.Bはポイ捨てする
>> 3.AはBのポイ捨てを批判する
>> 4.AはAのポイ捨てを批判しない
>> つまり、「批判しない」という行為が存在するわけで、ここでの自己棚上げは
>> 実は3と4で構成されているわけだ。
>
>で、私はその4つが全て行なわれてる状況下でのそれぞれの評価を、上から順
>番に、非非是非と判断してるわけ。

#それは、*それ以外の状況は無視して*切り出された個々の行為を評価した場
#合の話でしょ。そこでは「その4つが全て行なわれてる」という認識には何
#の意味もない。他の判断に何ら利用されていないのだから。

では、1〜4全てで構成された「自己棚上げで他人を批判すること」の是非は
如何ですか?それが本論でしょ。


>> 要するにこの問題は「行為者が誰かによって評価を変えることの是非」に集約
>> されるわけですね。
>
>少なくとも私は「行為者が誰かによって評価を変える」なんてことをしていま
>せん。

上記問いに是と答えるのであれば、それは「3と4の共存」を容認することに
他ならない。つまり「行為者が自分か否かによって評価を変えている」わけで
す。

上記問いに否と答えるのであれば、その時点でこの長い長い議論も終わりです。

-- 
wacky