"おいらはMac" <whiteboard21@mac.com> wrote in message
news:bjvh02$ne9eq$1@ID-205905.news.uni-berlin.de...
Mac氏の理解をたまわったが、内心、複雑な思いがある。
それは、Mac氏の投稿は、日本の予兆を現しており、いやおうなくわが国国民が今後
10年において避けて通れない思考の峠を提示しているからである。

国民の衆愚化を誰よりも望んだ官僚政治は、今やその目的を達成している。愚民は、
悪しき花と化した民主主義の影の中にのみ入り乱れ、スキだのキライだの、夢だの欲
得だの、イデオロギーだの正義だのと、この世にありもしない影のとりこの羊となっ
て、官僚政治は愚民の羊を思うがままに飼いならすにまで羊の知能を落とすことに
成功してきた。

政治家は、牧童【官僚】の分け前をもらう牧童犬になり果てた。

衆愚化した愚かな羊は、あらゆるものを宗教化してしか認識できなくなっている。資
本主義しかり、共産主義しかり、社会主義しかり、民主主義しかり、社会保障しか
り、軍備しかり、憲法しかり、枚挙にいとまがない。
この愚民化した牧羊を人間の思考に復帰させることこそ急務である。

石原氏の発想には、牧羊が人間に回帰する思想のエッセンスが垣間見られる。石原の
提言にふれたとき日本国民は牧羊から人間の記憶をふと思い出すようなところがあ
る。自らの人間の脳を守り抜いてきた思想家石原の面目がそこにある。
その角笛は、時には狼の鳴き声にも似て、牧羊は動揺しおびえ泣き叫ぶ。羊よ、愚民
よ、
石原の吹く人間回帰の角笛の音と、君たちを頭数としか数えない牧童の角笛の音響
の差を聞き分けねばならない。角笛の音の差異識別にこそ、牧羊が人間に回帰する
チャンスが流れている。

石原氏がテロを容認するなら、なにも政治家になどなりはしない。政治家ほどテロの
標的になるものはないからだ。テロを仕掛けるものは表に出ようとはしない。ビデオ
に出るのが関の山。

石原氏は、いまだに北に拘束されている拉致被害者を救出できない政治の無能ぶり
や、オーストラリア軍が覚せい剤を積載した北のカムフラージュ船を海上で摘発した
のに、わが国は、さかのぼってその船を入港、出向させていたというお粗末さに、国
民
の怒りのボルテージがあがっている現実を情緒的に表現したにすぎない。

だが、国民の怒りの激しさ、怒りの正当さを端的に表現した角笛を、愚かにも、
牧羊【民衆】は聞き取れずに、またしても、牧童【官僚】の偽りの角笛でオリの中に
牧羊
は帰っていくのか。

だが、衆愚政治も末期となれば、つまり、牧童【官僚】、牧羊犬【政治家】、牧羊
【民衆】という構図をもつ民主主義は、ついには爆発し、牧羊が人間回帰するまで民
主
主義を停止し、強権政治で人間回帰の軌道に戻すという思想がいやおうなく登場す
る。
事実の問題として起こってくる。ここに登場した「おいらはMac」氏のような論調
もその典型のひとつ。やがてわが国がこの論調に席捲されることも十分起こりうる。
むしろ時代はその方向に動いているからこそ、Mac氏のような投稿が高鳴ってくる
のだろう。

Mac氏の意向に添えなくてすまないが、私は民主主義停止の強権論調を支持するも
のではない。(むろんMac氏にかぎらず誰でも本来はそうだろうが)
強権発動の歴史は、国民に多大な犠牲を強いる。歴史の証明するところである。民主
主義の非生産性をとがめれば、人間疎外の社会に陥っていくことも歴史の証明すると
ころである。しかし、内憂外患、国内経済の退潮と、テロ国家、戦争への不安は、民
主主義に悠長な時間を与えることを拒否し始めている。このエネルギーは、わが国の
経済の低迷が続き、テロ国家の脅威が軽減しないかぎり、増大することはあっても減
退することはない。だが、愚かにも、牧童はわが国の救済よりも牧童社会の安泰化に
汲々として時代錯誤な自己権益の確保増大に明け暮れている。
牧羊はますます衆愚化し、人間への回帰を思いつきさえせしない。

本来は、牧羊犬など存在せず、いまの「牧童【官僚】」は本来は「召使」であり、い
まの「牧羊犬【政治家】」は、本来は「執事」であり、いま、牧羊と思い込んでいる
羊こそ、【牧場を経営する家族自身】であるという本来の姿を思い出させねばならな
い。ドラスチックな荒療法によることなく、牧羊は、角笛の偽りに気付いて、己がな
んであるか、己は人間であることをその記憶からよみがえらせねばならない。
執事たる【政治家】を配置し、執事は、経営者家族の役にたち、番犬たる【官僚】に
は、執事も牧場経営の家族自身も、正しくしつけをしなければならない。

石原の思想には、今の牧羊【人間】は、本来は主人であり、あるいは、その家族であ
る人間そのものであり、今の牧童【官僚】に仕えている牧羊犬【政治家】は、本来は
執事であり、そして、今の牧童【官僚】こそ、本来は番犬であるという事実に気付か
せる思想がある。
石原の角笛と、牧童の角笛の差異を聞け。石原の角笛の音色の激しさに逃げ惑う愚か
な牧羊よ、人間である記憶を石原の角笛に聞け。