まあ、いいけどね。
私の方は「珍妙なのはお前だ」なんて言い合いをする気は無いです。

KGK == Keiji KOSAKAさんの<bips8k$iuk$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> wackyの<3f2d2ac8$0$262$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>から
>>>>> wacky@だから批判あるいは賞賛することの正当性の話ですよね

>>> だから、棚上げの「批判する」に相当する部分は「消火する」でしょ?
>
>> いいえ。
>> 「消火する」に相当するのは「ポイ捨てする」です。
>> で、「批判する」に相当するのが「賞賛する」です。
>
>何でそんな珍妙な対応になってるんでしょ?
># 「放火する」はどこ行った?

「放火する」は「(空き缶を)ポイ捨てする」に対応し、共に「批判」「賞賛」
の正当性を損なう『状況』を形成します。

これで全ての対応が綺麗に取れていることがお分かりになると思いますが、如
何ですか?


>> #「批判する」と「消火する」では比較の構造が不明です。
>
>前にもちょっと言ったと思いますが、
>・自分で行為Xをしながら、Xに反する行為Yをする。
>という構図を議論してるものだとばかり思ってました。
>棚上げでは、X=「ポイ捨て」、Y=「ポイ捨ての批判」で、
>マッチポンプでは、X=「放火」、Y=「消火」だと。
>
>そうじゃないと類型の意味がないよね?

それの何処にどのような意味があるのだろう?


-- 
wacky