Re: 許容と行為 (Re: 許容要素
KGK == Keiji KOSAKAさんの<bh52eq$h6f$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> 現象の把握の結果として問題が認識されればどちらの方向への是正であろうと
>>>> 「問題の解決」と言えるでしょう。ただし、「問題が存在するか否か」は
>>>> 「現象の把握の結果」として判明するのだから、それ以前に「解決」を言い出
>>>> すのは少々奇異な話です。
>>>
>>> 喫煙迷惑ってのは社会問題として存在するわけだし、それを含む迷惑問題って
>>> のも存在するでしょ?
>
>> 「社会問題である」ってのには既にして価値判断が含まれてますけど。
>
>その段階の価値判断を否定したら、社会問題は扱えません。
># だからと言って、どんな価値判断を含んでもいいってことにはならない。
だから、それを社会問題として扱うのではなく、価値判断を排した現象論とし
てあつかうのではなかったの?
#都合良過ぎ。
>>> 社会的に軋轢が起こってるのは事実でしょ?
>
>> だからって「軋轢は解消されて当然」と決め付けちゃいかんでしょ。
>
>だれか決めつけてるんですか?
社会問題であるという価値判断によって。
>>> だから、まず事実関係を表わすモデルを作るってことは、正当性以前の話とし
>>> てできるはずです。
>
>> であれば、無批判な価値判断を差し挟む事は避けましょう。
>
>だから、正当性の議論は別にし、「やってよい」かどうかの議論も別にし、行
>為者の指針を作る段階も別にしてるわけ。
でも「社会問題であるという価値判断は持ち込む」んですか?
>> で、だから何?ですよ。
>> だとすれば、その「「やっていい」と素朴に言えるものじゃない」は何も言っ
>> ていないに等しい空虚な主張なのでは?
>
>なぜ?
>「Xではない」というのは、まさしく「Xではない」ということを表してます。
>「Xである」を否定してるわけです。
>それはそれで、意味のある話。
で、だから何?
この議論について意味を持たねば空虚であることに変わりないでしょう。
反論の為の反論に意味はない。
>> 「蒙った迷惑を非難する」ってのは「他人の行為に対する判断」そのもので
>> しょう。
>
>そう。「迷惑になるかもしれない行為のリスク」とは別の話。
(社会的に)迷惑じゃないのに迷惑を非難されたら、それ自体が迷惑ですが?
#自分のやることは絶対迷惑じゃないとでも思ってる?
<余談>
>>>> 他人に対しては
>>>> ・「やっていい」と素朴に言えるものじゃない(んだから遠慮しろ?)
>>>> で、自分に水を向けられると
>>>> ・「やっていい」と素朴に言えるものじゃなければやってはいけないとでも?
>>>> なわけじゃん。
>>>> だから、「自分の言ってることを否定してる」と評したわけです。
>>>
>>> 括弧内は言ってないことです。
>>> ・「やっていい」と素朴に言えるものじゃない
>>> というのは、「素朴じゃなけりゃ言えるかもしれない」って含みを持たせた表
>>> 現です。
>>> 素直に解釈すれば「それってグレーゾーンだよ」って話になると思うんですが、
>>> いかが?
>
>> で、グレーゾーンだから何だと?
>
>やるつもりだったら判断材料増やしてちゃんと判断しろよって話。
#で、そうしたら「現象論だ。判断すんな」とくるわけだ。
</余談>
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wacky
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