絶対的な一神を確信するということの持つ光と影について

神を人間が神の上から、あるいは神と並んで知ることはできない。人間の認識能力を
超える神という存在。この神への強い信仰で、人は死をも恐れぬ効果、うがった見方
をすれば、麻痺にも似た症状を示すようです。古今東西、神の名の下に幾多の悲惨、
狂態は、演じられてきましたが、個人が厚い信仰で心の地獄から立ち上がっていった
現象もある。

人は、このような光の世界への信仰によって、はたして、異教徒といわれる民との融
合を図る手段を持つことができるのでしょうか。

兵器などの無制限な発達に人類は歯止めとなる自己抑制力を持っているとはいえない
し、それどころかますます、自己抑制力の届かぬ世界へと発達していくように思えて
なりません。思想的に人類をリードする社会基盤は希薄です。宗教が火に注ぐ油の側
面を持つのみでは、期待できませんが強制や暴力から離れて、宗教が人類に自己抑制
を促す力を今後隆起させることは現実にあるのでしょうか。

もし、宗教が、自己抑制に人類を導く可能性をもつなら今後宗教はどのように活用さ
れていくことでそれが可能なのでしょうか。
もし、宗教にその可能性がないなら、何が今後宗教に変わって人類の自己抑制機能を
与えるべく登場すべきなのでしょうか。