KGK == Keiji KOSAKAさんの<be6d4k$q3a$3@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> $> というわけで、社会的閾値のどちら側だろうが「A・Bが同じ側にいれば非難
>>>> $> は不当」と言っているわけ。「相対レベル」は不要です。
>>>> $
>>>> $「A・Bが同じ側にいれば」ってのはまさに相対的な評価ですね。
>>> 
>>>> と言った時点で「相対」で表現される意味が変化しているようです。
>>> 
>>> この時点で不充分だったのは、「A・Bが同じ側にいなくても非難が不当な場
>>> 合がある」って指摘ですね。
>
>> #それ以前に4パターン全てを文章で説明しているはずですが?
>
>その説明を、
>>>> $> というわけで、社会的閾値のどちら側だろうが「A・Bが同じ側にいれば非難
>>>> $> は不当」と言っているわけ。「相対レベル」は不要です。
>とまとめるのは不適当だってこと。

まとめたつもりはありませんでしたが…
#あくまで「必要な部分に限った説明をした」だけ。


>>>>>>>> でも「正当防衛で撃ち殺した」場合には「その行為に到った事情を考慮されて
>>>>>>>> 当然」なんですよね?
>>>>>>>> 「女子トイレに潜んでいたので(他の)痴漢を捕まえることができた」のとの違
>>>>>>>> いはなんですか?
>>>>>>> 
>>>>>>> 前者は撃ち殺すことで状況が改善されてますが、後者は痴漢を捕まえることで
>>>>>>> 状況が改悪されてません。
>
>>>>> 「事情」によってデフォルトから反転するかどうかを見てるわけ。
>>> 
>>>> そこが分からない。何で反転しなきゃイカンのでしょう?
>>>> 「痴漢を捕まえることで状況が改善された」がダメな理由は何?
>>> 
>>> ダメじゃないですよ。
>>> 「痴漢を捕まえることで状況が改善された」ので、「たとえ、女子トイレに潜
>>> んでいたにしても痴漢を捕まえることは善」という評価になる。
>
>> 「反転」はどうなったんですか?
>
>起らなかったんです。

起こらなかったのに「善」と評価されたわけですよね?

>> #ちょっとワケワカランです。
>
>どこが?

「正当防衛」の場合は「反転したから善」だったのでは?


>私が「考慮するのは当然」と主張してるのは「その行為に到った事情」であっ
>て、「事情なら何でもかんでも」ではないですから。

そりゃ何ででしょうか?
「事情」をそのように恣意的に選別する根拠は何ですか?

>「その行為に到った事情」でないものを考慮する必要がどこかにあるんですか?

その行為が行われた状況。
#「事情」であっても、必ずしも「その行為に到った」であるとは限らない。

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wacky