社会はあなたが気分を害さずに生活できることを保障しません。
一旦社会に出たならば軋轢を生じるのは当然であると言えましょう。


ふにゃふにゃさんの<Hw8Na.1703$Fk4.236476@news1.rdc1.ky.home.ne.jp>から
>wackyさんの<3f042f2d$1$258$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>から
>>迷惑には自ずから重大性の違いがあり、同様の状況でも許容される・されない
>>に分かれる場合があります。
>
>すると、喫煙者は、煙草の煙を人にかける前にその人の体質や体調などを
>判断してから、許容されると判断した場合に煙草の煙をかけてるのですか?
>すごいですね。

いいえ。
そのように努力することは決して悪いことではありませんが、一般的にはその
ような過重な配慮は求められるものではありません。
#喫煙であろうが無かろうが

>どうやって見分けているのでしょうか。

その人が嫌煙者か否かすら見分けることは難しいでしょう。

>それともまさか、煙を試しにかけてみて、許容される・されないを判断し
>ているのですか?

確かにね、嫌煙者個人個人が「許容するか否か」なんて事後に本人に尋ねる以
外に本当の所は判りはしないよね。

で、だからこそ「社会的見地」の話をしているんじゃないですか。
「嫌煙者の個人的主観」の話ではなく、ね。


>>yam氏の迷惑は「具体的症状」の現れる人の蒙る迷惑に比べ著しく軽度である
>>と言えるでしょう。従って、yam氏が自らの迷惑を「具体的症状」の現れる人
>>のそれと同等に扱おうとすることは不当であり、「具体的症状」の現れる人
>と喫煙者の両方にとって「迷惑」そのものでしょう。
>
>私は、「具体的症状」の現れる人なのですが、yam氏の存在は迷惑では
>ありませんよ。
>勝手に決めつけないでください。

ふにゃふにゃ氏だけが「具体的症状の現れる人」ではありませんよ。
#従って「勝手に決めつけないでください」です。^^;
ふにゃふにゃ氏が気にしないとしても「社会鍋に手を入れるが如き行為」が厳
に慎むべきものである事に変わりはありませんです、ハイ。


>「具体的症状」の有無に関係なく、迷惑の原因は「煙草の煙」という点
>では、yam氏も私もなんら違いがないのです。

では確認。
ふにゃふにゃ氏が迷惑を許容できない理由は
1.具体的症状が現れるから
2.原因が煙草の煙だから
どちらでしょうか?

2であるのなら確かに「「具体的症状」の有無に関係なくyam氏と変わりな
い」と言えるでしょう。
#「煙の出ない呆煙者」みたいな逆説的な話だが在り得なくはない。

-- 
wacky