Re: シェリングのN響アワー
At Thu, 15 May 2003 22:21:20 +0900,
in the message, <20030515222120cal@nn.iij4u.or.jp>,
cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote
>じゃあ著作権法63条の許諾って
>許諾権者が
>
>>本来違法となる他者の行為を適法化するという法律効果の発生を目的とする
>
>ことなど考えていなかった場合に
考えていないものはそもそも「許諾」とは言えないということ
(無論、意味の認識で足ります。
コンビニでパンを買うのが売買契約だと言ってもそんなことは認識してい
ないというのと同じ。
レジでパンを差し出したときに「このパンを目的物とする売買契約の成立に
より商品の引渡し債権を取得し代金の支払い債務を負担し物権の移転を伴う
という法律効果の発生を目的とする」なんてだれも考えていないってこ
と。)。
ただし、意思の内容についてはもうちょっと適正な解釈があるだろうというの
は否定しないところ。
簡単にいうと、「自転車貸して」「いいよ」と「君の撮った運動会のビデオコ
ピーさせて」「いいよ」ってのと何が違うのか?ってこと。
どっちも一定の法律関係の形成を目的とする内心の表示じゃないの?
そしてその内心と実際に形成される法律関係とは、おおむね一致しているん
じゃないの?と。
前者は使用貸借契約の承諾だけど、別に「使用貸借契約の成立を目的とする」
なんて認識は大概無い。
これに準えると、後者は「複製許諾契約の成立を目的とする」とでも言うべき
で「適法化することを目的とする」と言うべきではない、というのは有り得る
のでその意味で「もうちょっと適正な解釈」と言っている。
ただいずれにしろ一定の法律効果の発生を目的としているのは間違いないだろ
うし実際に発生する効果はその目的に沿うものであるというのも間違いないだ
ろうと。
その内容の解釈は結局意思表示の解釈の問題に過ぎないから多少違っていても
何が合理的意思解釈かっていう評価の問題。
で、もし仮にそういう意思がないのなら、意思主義の原則から言って、
>その意思表示が錯誤として無効になるのかい……とか
>本来は無効だけど外観法理で救済するのかい……とか
とせざるを得ないでしょう。
……効果意思が無いのに'権利'の処分の効果を法律で強制するんですか?
# ちなみに、意思の表現に関する瑕疵の問題は個別の行為毎に検討すべきだっ
ていう最近の傾向からすれば、意思表示の瑕疵の規定の適用の有無を理由に
意思表示かそうでないかを決めてもあまり意味がない。
そういう意味で「面倒な割に実益がない」議論。
>>そうでないと使用許諾契約というのが成立しないことになると思います。
>
>そんなことはないです。
>債務の存在の承認は通常は観念の通知だけど
>「債務の存在を承認するとともにそれに拘束することの承認を含む」
>ことを表示した場合に観念の通知ではなく
>意思表示と解しても全然問題ないんで。
で、その表示によって生じる法律効果は何ですか?
>>なお、仮に意思表示でないとしても意思の通知であって観念の通知ではないと
>>思います
>>(許諾という事実の存在を知らせているのじゃなくて許諾するっていう自分の
>> 意思を表明しているんだってこと。)。
>
>そうか〜?
>63条1項の許諾をしたことは事実だと思うんだが……。
それは既に話が違いますよ。
「許諾をしたこと」は確かに事実ですけどそんなものは初めから問題になって
いません。
ここで問題になっているのは「許諾をしたこと」ではなくて、「許諾する行
為」それ自体です。
「許諾する行為」それ自体は意思表示(かまたは意思の通知)だと言っている
だけ。
例えば債権者佐々木が債務者鈴木に対して有する債権を第三者加藤に譲渡した
場合、「譲渡したこと」は単なる事実でそれを鈴木に通知するのは観念の通
知。
しかし、「譲渡する行為」それ自体は佐々木加藤間の債権譲渡契約(ないし譲
渡契約の要素たる申込または承諾という意思表示。)であって観念の通知では
ない。
これは「意思表示(を要素とする法律行為としての契約)」。
「許諾する行為」に対応するのはこの「譲渡する行為」
(もうちょっと正確に言うと「譲渡の申込かまたは承諾という行為」。)。
これを許諾に引き直すと、
佐々木が鈴木に「複製してもいいよ」と言った。
この場合の「複製していい」の法的性質が問題。
ということ。
その後佐々木が加藤に「鈴木に複製していいって言ったよ」と言った。
この場合の「複製していいって言った」の法的性質などは問題にしていない。
と。
そしてこれは、鈴木に対して複製を「許諾する」という佐々木の「意思」の問
題であって(いつか誰かに)「許諾した」という単なる事実を鈴木に対して伝
えているのではない。
……ちなみに「許諾したという事実」の通知は通常は観念の通知ではない。
というのは、普通は何らの法律効果も発生させないから。
つまりそもそも法律事実じゃなくてただの事実上の事実。
法律事実ではないんだから準法律行為であり法律事実の一つである観念の通知
ではない。
……なお、別投稿で佐々木さんは、63条の許諾は「当然のことを規定した」っ
て言ってますけど、観念の通知(あるいは意思の通知)ならば準法律行為とな
るから「当然のこと」では済まないと思います。
準法律行為は、行為者の意思内容とは無関係に一定の行為に一定の法律効果を
与えるものなのにそのような特殊な効果が「規定が無くてもという意味で当然
発生する」というのは意思主義の原則からして問題だと思います。。
観念の通知の典型例である債権譲渡の通知だって法律の規定があるから対抗力
を生じるし、債務の承認だって同じく規定があるから時効の中断効を生じる。
これは「当然」ではありません。
ならば、準法律行為とする以上その効果の発生の根拠が必要でしょう。
以下ちゃちゃ。
>ルフィミア「私のアンソロ本を書くって本当?」
>まさと 「それ、微妙に間違っている……。」
「微妙」ってことは大筋では正しいってこと?
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735