Path: ccsf.homeunix.org!ccsf.homeunix.org!news1.wakwak.com!nf1.xephion.ne.jp!onion.ish.org!onodera-news!newsfeed.media.kyoto-u.ac.jp!fu-berlin.de!uni-berlin.de!cpe-138-130-201-68.qld.bigpond.net.AU!not-for-mail From: Kaz Hagiwara Newsgroups: japan.lang.japanese,fj.sci.lang Subject: Re: Kesserareru Date: Thu, 04 Sep 2003 16:07:43 +1000 Lines: 118 Message-ID: <3F56D6AF.BFF0644A@yahoo.co.jp> References: <8e03e77.0308261333.34e06523@posting.google.com> <8e03e77.0308261755.612195bf@posting.google.com> <3F4D9794.D6226ED5@yahoo.co.jp> Reply-To: kazhagiwara@yahoo.co.jp NNTP-Posting-Host: cpe-138-130-201-68.qld.bigpond.net.au (138.130.201.68) Mime-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=iso-2022-jp Content-Transfer-Encoding: 7bit X-Trace: news.uni-berlin.de 1062655683 15884030 138.130.201.68 (16 [83482]) X-Mailer: Mozilla 4.7 [ja] (Macintosh; I; PPC) X-Accept-Language: ja,en,pdf Xref: ccsf.homeunix.org japan.lang.japanese:21 fj.sci.lang:51 健太郎 wrote: > >・・・、中には、終止形の語尾が「す」のまま残っているやつ > > って、たとえば具体的にどんな動詞なんですか? ここは、文語サ変が慣用的に現代でも使われているという意味で使いました。 > >> 1.漢語2語からなる「する動詞」: 解決する 理解する 敬愛する 暗記す > る  > >> 過信する 対応する > > > >このあたりは、「する動詞」に移行してしまい、終止形の語尾が「す」で終るこ > >とはほとんどないもの。従って、口語サ変「する」と同じ活用が適用されていま > >すし、その受け身形は、「〜される」で使用上全く問題がないわけです。 > これもわかりません。 > ここで議論されているのは、二文字漢語におけるサ変動詞 > の口語形ですよね。口語サ変と同じ活用が適用されたばあ > いの受け身形の助動詞は、おっしゃているような「〜される」 > ではなくて、「〜せられる」ではないのですか? 「活用」としてはそうなんですが、慣用としては「される」が当てられている ということです。話は受け身表現から逸れますが、「する」については、可能 表現で「できる」を持ってきて使うわけですが、これも上に挙げられた「する 動詞(口語サ変動詞)」に対して実用上一般に適用されています。 そして、元記事の問題意識は、まさにその「活用」と「慣用」のはざまを問う たものであるわけです。つまり、受け身表現で慣用的な「される」を採用する 口語サ変グループと、「正統な」活用による「せられる」以外の採用を拒むグ ループがあるのはなぜかという話ではなかったかと思います。 海外の日本語学習者(研究者)に見られるこうした疑問は、しばしば「正統」 文法に関するものではなく、実用文法に関するもので、文法学者から見ると異 質な疑問に感じられるかもしれません。 > >> 2.漢語1語をふくむ「する動詞」: 決する 解する 関する 付する 評す > る > > > >これは、終止形語尾が「する」でありながら、文語サ変の活用に郷愁を持ってい > >るらしきグループ。「〜される」を拒みつづけている連中がこの中にいます。 > > > そもそも、文語サ変の活用に郷愁を持つもなにも、これら > の動詞は正統なサ変動詞ですから、口語においても遺伝 > 的にその活用を受け継いでいるだけのことではないのでし > ょうか。私には、真正な活用による日本語の正しい表現、 > ただそれだけの話のようにみえます。 「正当なサ変動詞」「真正な活用」はそのとおりなのですが、言葉を現実に運 用する(あるいはそれを学習する)立場から見ると、「〜される」を拒み続け ている妙な動詞がある、というふうに見えるわけです。 > >「〜される」を拒みつづけている連中がこの中にいます。 > とのことですが、このグループでいえば、「決する」、「付す > る」および「関する」を除いた語群では、「〜される」という > 接続も見受けられるかと思いますが。それらは私見では、 > それぞれ、 > > 理解する --> 理解される-->(解される) > 批評する --> 批評される-->(評される) > > という過程のアナロジーであると思われます。 これは、二字熟語の前半を略した形になると、「される」を受け入れる傾向に あるということでしょうか。では、「送付する」、「対決する」の場合はどう でしょうか。 > >> 3.四段化の影響を受けた「する動詞」: 愛する 記する 帰する 御する  > 辞す > >> る 訳する > > > >このあたりは、すでに活用的に五段動詞とする動詞の2バージョンずつ持ってい > >ると考えたほうがいいのかもしれません。 > > > >「愛する」「愛す」/「記する」「記す」/「帰する」「帰す」/ > >「御する」「御す」/「辞する」「辞す」 > > > >で、このうち、五段活用しているバージョンでは受け身形は当然「〜される」に > >なるわけですが、「する動詞」バージョンの方は、なぜか「〜される」を好まな > >いで、文語に対する郷愁を匂わせているようです。 > > > > この対立はまず、動詞の活用の歴史的変化を共時的に > 包括できるからではなくて、 この「からではなくて」以前の文脈の脈絡がわかりません。「歴史的変化を共 時的に包括」したつもりはないんですが。 > 終止形と連体形との補完関 > 係から両形を現在のところ備えているからです。 「意味」という点から見ると、たしかに、ある意味を持つ動詞が「二つの形を 備えている」ように見えますが、両者は単に「終止形と連体形との補完」関係 にあるというよりは、別個の活用型を持つと見ることはできませんか。 例:  記しない 記します 記する 記すれば 記せよ (記しよう) <サ変>  記さない 記します 記す  記せば  記せ  (記そう)  <五段> > また、 > > >「する動詞」バージョンの方は、なぜか「〜される」を好まな > >いで、文語に対する郷愁を匂わせているようです。 > > とおっしゃいますが、このグループの特徴は*まさに逆で* > 「する動詞」(私はこの言い方をしないのですが、私の解釈 > では口語サ変動詞のこと)が本来の「〜せられる」よりも > 「〜される」に傾いているということではないのですか。 > おっしゃるような「文語に対する郷愁」とは具体的にどんな > 郷愁なのでしょうか。 それはまさにその「本来の」形に対する郷愁なんですよ。 > >萩原@グリフィス大学w