クリスマスと宗教
河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
幼稚園はカトリックでした。通った英語学校はプロテスタントで
した。まぁ、なんだ、賛美歌は歌わされまくりましたよ。ミサは
友達の間では「最後に寄付を要求される」のが嫌われていたよう
です。聖書のエピソードって結構シュールなので、それは面白か
った。お正月に両親に車に乗せられて早朝に聞く「福音アワー」
とかもあって。まぁ、いろいろ避けられないよね。両親ともキリ
スト教徒ではありません。たまたま偶然ですね。統一協会の勧誘
もあったし、創価学会の勧誘もあった。そういうのに好かれるら
しい。エホバの証人のおばさんとお茶するのとか嫌いじゃなかっ
たし。
いずれにせよ、サンタがプレゼント運んで来るなんて、まったく
信じてませんでした。覚えてない頃はわかりませんが。祖母に欲
しいものを言うというプロトコルだったようです。今から考える
と、かなりのお金持ちだったので、もっと、おねだりしても良か
ったと思う。「マイコン作るんで、10万円ください」みたいな。
早く死んでしまったのが残念です。
聖書は一応読んでおくものだろうと思って、旧約、新約とも読ん
だ(はずだ)けど、もう覚えてないです。仏教書と違って、聖書自
体には真理とか発見とかがないので、小説とか講談に近いものだ
よね。歴史書に近いんだから、別に誤ちがあると思ってもばちは
当たらないと思うんだが... 古事記とか日本書紀とかも、結構、
面白い。読んだのは大学に入ってからだが、もっと前に読んでい
れば、古文の成績は、もう少し良かっただろうと思います。「結
局は日本語なんだから読んでいればわかるようになる」という教
えでした。
新しい宗教を作る時には、聖書作りから始めるらしい。モルモン
書とかになると、さすがに出典が怪しすぎると思うが、怪しくな
ければ奇跡じゃないから、仕方がない。般若心経とかは、はっき
り人間が作ったものなので、その点はわかりやすいね。
もう少し、人間の心理や社会の性質に適した「信じると多くの人
が幸せになれる(人工的な)宗教教義」ってのがあっても良いとは
思うが、一般意味論、S.I.ハヤカワ(これを入れるのは変か?)、サ
イエントロジー、幸福の科学とか、微妙に違うかな。ハイデッガ
ーは、哲学よりは宗教に近いけど、ナチスに利用されたというイ
メージがあるのは残念。でも、ハイデッガーの「存在と時間」は、
まだ、読んでないです。そろそろ読んでもいいか?
そんなわけなんで、もう少しまともな宗教に出会っていたら、そ
れなりにはまっていかも。でも、自分が小中学生の時に考えたこ
と、あるいはエーリッヒ・フロムの本の方がましだと思っていた
ようです。特に「現代科学との共存性」「その教義を推し進めた
時に、社会全体はどうなるのか?」ってあたりで破綻している宗教
が多いと思う。科学と両立しないんじゃ生活が不便すぎる。まぁ、
破滅を目指す宗教教義はあり得るとは思うけど、それをなぜ信じ
るべきかっていうと疑問ですね。宗教は自分で受け入れるものだ
として。
思い返してみると、フロムとか般若心経あたりが僕に取っては読
み返すべき聖書になった感じか。クワインやクーン、ポパーは、
哲学と言っても技術的な哲学という側面があって、宗教にはなり
得ないんだよな。フロムは、キリスト教がベースなので、宗教っ
ぽいのは当然ですけど。
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Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科
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