河野真治 @ 琉球大学情報工学です。

In article <41C69B90.7080906@slis.tsukuba.ac.jp>, Yuzuru Hiraga <hiraga@slis.tsukuba.ac.jp> writes
> これはあくまで、「級数そのもの」、「形」の話として述べたもので、
> 「意味」のほうには全然立ち入っていません。
> 例えば関数列についての「点収束」、「一様収束」といったことさえ触れていません。
>  # コーシーはそこで躓いたりするんですが。
>  # もっとも一様収束の概念はそんなに難しくも意外な話でもないので、
>  # なぜコーシーが思い至らなかったのかはむしろ不思議。
>  # これも「コロンブスの卵」でしょうか?

無限数列を形式的に取り扱うのは、例えば、自然界にある関数をフ
ーリエ展開したものの扱いとは、論理的に階梯が一つ異ります。

コーシーの時代は、数学と物理が分離する直前ぐらいですよね。つ
まり、

    級数ってのは物理的実体であって、収束して値を持つのが当然
    発散したり振動したりするものは級数ではない

ってなところがあったんだと思う。

物理学者は和と積分の入れ換えとかは結構がんがんやっちゃう。そ
れは、「自然に存在する実体なんだから、つじつまはあってる」っ
てな信念があるから。一様収束とか点収束は、どちらかと言えば、
「人工的に作った関数が、ちゃんと微分できるかどうか」を判定す
るために必要なんだと思います。

(なんで、僕は、今でも、一様収束とか正則空間とかコンパクトと
かには、興味がわかないっていうか、厳密に話をする気力がないっ
ていうか... このあたりは、塚本さんとかは、厳密にしないなら、
そんなのは数学じゃないっていうだろうな) 

> 推察ですが、おそらくコーシーにとっては、収束するかどうかさえわからない
> 対象に対して「u_0 + u_1 + ...」といった書き方をすることは、
> 「1/0」といった書き方と同様に許しがたかったんじゃないでしょうか。
> そしてそう考えればカンマ記法への固執も理解できます。

実体があって、それを展開するっていう操作で得られるものが級数
だとすれば、展開操作とは関係なく「和」として扱うのはうれしく
ないでしょうね。

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