河野真治 @ 琉球大学情報工学です。

In article <xHhbb.353$SG6.101@news1.dion.ne.jp>, "Segawa Yutaka" <segawa1961@r2.dion.ne.jp> writes
> 量子力学での存在とは、観測可能であることを意味します。

そんな風に書いてある本は少ないんじゃないかな。

どちらかといえば、状態を存在として認めて、それに対する観測を
定義してやるという立場の方が多いと思う。

   |Φ'> = H |Φ>

ていう状態の時間発展そのものは、観測とは関係ないですよね。

観測可能であることは、実験装置を仮定して初めて言えるわけです
けど、そういう主観的な操作とは別に存在物があるという考え方の
方が、存在論としては普通。

> 言い換えると、(量子力学以前の)存在、そのものを、
> 考えるのではなく、物理量が測定器にどのように
> 引っかかるかということを議論しているのだと思います。

こっちの方は、そんな言い方だし。この「物理量」ってのが測定器
の数値以外に存在するって考え方ですな。

そうじゃなくて、観測の値の確率分布のみを存在物として認めるっ
てのはいさぎよくていいんだけど、「物」とはいいにくいよね。

例えば状態Φに対して位置Xを観測するとして、

     P(x) = √(<Φ|x|Φ>)

なわけですけど、この中で何が存在かっていうと、まぁ、|Φ>
をあげる人がおおいんじゃないかな。P(x)は、ちょっと、
存在物とはいいがたい...

場の量子論でも、ある電子eが存在するってのを生成演算子Aで、
        A|>
みたいに書くわけだけど、結局、それは状態を存在と認めているよ
うなものですよね。

それでも、「存在しているのは観測した数値のみだ」という
立場に後退する余地を残しておくのは重要だと思います。
でも、あんまり便利な存在論ではないんだよね。

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Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus, 
              PRESTO, Japan Science and Technology Corporation
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科, 
           科学技術振興事業団さきがけ研究21(機能と構成)