Junn Ohta wrote:
> たしかに、この「存在している」は私も置き換えたくな
> いかも。

 様々な幽体の生き物達が伝説さながらに存在するの。

 そこには人間などの幽体とは比較にならない巨大な意
 識体が存在する。天使や悪魔、多神教での神々と呼ばれる者達ね。

こう書いてあればあったで、別に私には違和感ありません。文章意識の問題か
な。二つ目の文はちょっとギクシャクした感じがしますが、それは、それに続く
文が口語的な終助詞「ね」で終るからかもしれません。

 そこには人間などの幽体とは比較にならない巨大な意
 識体が存在するの。天使や悪魔、多神教での神々と呼ばれる者達ね。

こうしてしまえば、私はそれもそんなに気になりません。


> おそらくこの漫画では「存在している」ということばを
> 「生きている」「生活している」「息づいている」のよ
> うに行為や行動とみなして使っているのだと思います。
> ある意味文学的な表現ですよね。

「文学」とか文芸なら、なんでもありですから、そのへん異論ありません。「存
在」がよりモノ的なイメージで、「いる」がより生物的なイメージというのもあ
りだと思います。そこに文章意識を込める作家もいて当然です。

> こういう例を見せられると逆に、FUYAMAさんが手を入れ
> たいと感じたのは、はるかに即物的で「存在している」
> ということばをわざわざ持ち出す価値のない文章だった
> のだろうなあと思ってしまいます。深読み? :-)

芸術じゃなかったんでしょう。

萩原@グリフィス大学