《社会保障制度は官僚制度で運営される壮大な無責任制度》

「老親が年取ったとき、支援もしないでよいし、介護もしないでよろしい。

国が所得保障し介護や医療も提供します。」

社会主義が浸透し始めた時、この主張には道徳的に少なからず抵抗があったわけです。

しかし、現在、誰もこの主張に疑問を抱く者はほとんどいません。

「国が老親の世話をして当然」
「このような国の制度を利用し老後を暮らすのは親の責任である」
「忙しいし、仕事のじゃま。遠く離れている。国が制度で世話してくれる方が便利で安くつく。」

(便利かもしれないが、安くつくとするのは間違い。官僚制度の方が無駄は多く、高くつくことは常識。)

このような、両親の保護を国の責任にして、老親の保護責任を放棄した考え方が蔓延しています。

「老親の保護責任は国にあり個人にはない。社会全体で世話すべき」という思想です。

つまり社会主義イデオロギーが浸透し、すっかり根をおろしているわけです。


「老親の保護は社会全体でする」という、法的保護責任者の保護責任を放棄した社会主義が蔓延しています。


これらは官僚制度で運営され、壮大な無責任制度となり、負担の高騰で国内市場全体が活力を失い、失業増で働く世代を苦しめています。

そればかりでなく、家庭経営責任が確立せず、家庭崩壊教育崩壊社会道徳崩壊現象であふれかえっています。