Re: 言語の曖昧性 (Re: やの用法)
佐々木将人@函館 です。
今さらなんだけど……。
>From:Takao Ono
>Date:2004/01/08 09:28:13 JST
>Message-ID:<040108092813.M0122889@flame.hirata.nuee.nagoya-u.ac.jp>
>
>日本語に限らないような気がする....
ですよね〜。
「AさんやBさんの子は英語を話す。」の意味が確定できない理由は
「の」の示す範囲が「の」という語からだけでは確定できないのが第1。
「や」の示す範囲も「や」という語からだけでは確定できないのが第2。
(「と」に変えてもこの点は一緒ですな。)
でもこれだけで「曖昧な日本語」と批判するのは
近視眼的なような……。
正確な情報を付加したければ、どんどん書き加えればいいだけのことでしょ?
(正確さは情報量の多さでもあるやん。冗長さの勝負っていうか。)
極論を言えば俳句・川柳・短歌では
曖昧な日本語になっているのがいくらでもあるけど
それを「曖昧だ」と非難するのは
ちょっと違うんじゃないかなあ……。
厳格さを追求していくならどんどん長くなるか
一定の約束事を設けていくかして
その究極の形として今の日本の法律文になるけど
あれが曖昧さのない日本語として賞賛の対象にする?
……違うよね。
文章はあるメッセージを伝えるためのもので
そのためにどうするかはいくつかのやり方があり
たとえ「正確に伝える」というためでも
複数のやり方があって
それを無視してしかも1文だけ取り出してってえのは
私はそれこそ「曖昧な」批判だと思います。
で、話を元に戻すと、
>しかも, 多くの場合日本語と対比している言語というのは英語やフラン
>ス語など, インド-ヨーロッパ語族に族する言語なんですよね.
># 韓国語やトルコ語と対比させるときってあるのかな?
ちょっと考えてみたんだけど
中国語でも同じ構造で同じ曖昧さの文章は
容易に書けそうな気がしたんだけどどうだろう?
エスペラント語やフィンランド語で考えてみたら
格変化とかでわかっちゃうんでなかなか作れなかった。
でも鐘ケ江先生だったかな?木村先生だったかな?
相原先生ではなかったと思うんだけど
英語と比較して英語では表現できるある種の表現がとれないことを説明して
だけどそれは言語として明晰でない訳ではない
それが証拠に中国語で開発が進められた中国の人工衛星だって
きちんと飛んでいるじゃないかってことを書いてましてね……。
これは学問のレベルじゃない個人的な発想だけど
今残っている人間の言語で簡単な言語なんてえのは
ないんじゃないかって思い始めてます。
確かにある部分だけ見れば簡単な言語はあるかもしれないけど
必ず回避の方法はあるし
しかも別の部分が難しくなっていて……。
フィンランド語は確かに格変化がたくさんあるけど
その変わり前置詞がたいていいらないとか。
中国語は単語の変化がないから単語自体で時制は表現できないけど
他の語と組み合わせることできちんと表現できるとか……。
ゆえに
>民族として曖昧な表現が好まれるかどうかという要素も
>含まれちゃうんじゃないかなあ.
ということでもないと思っています。
ちなみに
「Bさんの子やAさんは英語を話す。」
とか
「「Aさん」や「Bさんの子」は英語を話す。」
とか
「「AさんやBさん」の子は英語を話す。」
とかだとどうなるのん?
「Aさんは英語を話す。Bさんの子も英語を話す。」
や
「AさんとBさんの間の子も英語を話す。」
だと?
そしてこう書かないから曖昧だとか悪い文だってことなのかなあ……。
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