佐々木将人@函館 です。

>From:Takao Ono
>Date:2003/12/01 21:38:31 JST
>Message-ID:<031201213831.M0111516@flame.hirata.nuee.nagoya-u.ac.jp>
>
>ただ, 「K氏が博士号を持っていることを信用して大学に入ったのに, 実
>際にはK氏は博士号を持っていなかった」ということなんですよね. 「博
>士号を持っていない」ことは一応学歴詐称にはなるだろうけど, それに
>どこまでの不利益を認めるのが妥当なのかなぁ?

ちなみに法的には全然だめです。
第1に大学の教育はただ1人の教員によって行われる訳じゃない。
そして第2(そして最大の理由でもある)
大学教育は教員の称号によって行われる訳ではないのです。
……法学部の教授陣なんて博士号持っていないとか
  教員になってから博士号とりましたってえのが多いからね。

ちなみにより一般市民の同情を得やすいたとえを使うことはできるよね。
「ある人が博士号を持っていることを信用して大学に入ったのに、
 実際にはその人は博士号を持っていなかった」
ってことはだ
「ブランド品だと信用して買ったのに実際には偽ブランド品だった」
……だまされたって感じはより一層強くなるよね。

でも大学ってそういうことで選ぶところなの?
(端的に言えばそういうことで選んではいけないこと
 選んでしまった時にはその失敗が自分の責任であることを
 学びとるために行くんじゃないの?)
その時点で違うと思うし
そりゃあ大学に何を求めるかは個人の自由で全然かまわないけど
それが世間が求めるものとずれていれば世間の共感は得られないし
それが法律上求めているものとずれていれば
法律上は保護されませんな。

>博士号を持っていようといまいと, きちんと教育できる方が重要なんだ
>から.
># きちんと教育できていれば「学歴を詐称していることは問題といえば
># 問題だけど不利益は認められない」とされるだろうし, きちんと教育
># できていないとすれば「大学には収めた授業料に対して適切に教育を
># する義務がある」と認定されるだろうし.... 結局博士号の問題は出て
># こない.

全くそのとおり

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cal@nn.iij4u.or.jp  佐々木将人
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「まさと先輩、模範六法をたかだか2冊調達するのに、
 本屋を4軒まわらなきゃいけないって間違っていると思いません?」