1970年代に在日朝鮮総連合会(以下総連)所属あるいは
関連する在日朝鮮人と親しく付き合っていた普通の日本人に
対して「北朝鮮へ行かないか」という誘いがしきりとあり
ました。もちろん同じように付き合っていたパチンコ業界人
とかやくざへはそのような誘いはされてません。今にして
思うと恐ろしく思いますが、そのようなことを友人が思いつきで
云うようなことではなく、北朝鮮の意向を受けた総連の組織的
なキャンペーン等が有ったのではないかと推測しています。
もちろんノルマも課せられていた可能性もあります。
当時はそれこそ地上の楽園というデマがまことしやかに叫ばれ
ておりそれを裏付けるようにマスコミ各社の記事が良く出てい
ました。朝日、毎日は普通に出るので新味が無かったが特に
問題となるのは読売の論説委員が金日成主体思想を礼賛した
ことで極めて大きな影響がありました。「朝日、毎日は当たり
前、あの読売が書いた」ということで何かというと総連関係者
は引き合いに出して云ったものです。
具体的に北朝鮮へどのように行くのかは聞きませんでしたが、
闇ルートで北、韓国、日本とは普通に行き来してたようです。
一歩間違えれば拉致と同じ事態になっていただろうことは想像
に難くありません。当時の北朝鮮のキャッチフレーズは税金が
一切無くなったとか千里馬の如く生産向上し、外貨は無くとも
レアメタル鉱山が無尽蔵に有り一つ掘れば世界有数の資産を持
つ事が出来る。
特にアメリカと渡り合える主体思想で思想武装されているので
隷属している日本とは違うといったようなことでした。

在日朝鮮人家族の帰国も促進されていきましたが、一つの
エピソードとして吉永小百合の「キューポラのある町」という
映画がありました。中で学友が北朝鮮へ帰ってしまうという
別離の話がありました。母親は日本に残るという話だったと
思います。因みに映画の舞台は特定失踪者が続発した埼玉県
川口市です。
今の総連幹部も含め在日朝鮮人は誰か家族の一人以上が帰国して
いて人質に取られている状況です。つまり北朝鮮について口を
つぐんでいない限り北朝鮮に渡った家族が生き残れないといった
状況です。ただ生き残れないだけでなく収容所に収監されると
人間ではなくなってしまい干からびて死ぬとそこら辺に埋められ
何もなくなってしまうという。誰がどこへ埋められたかも判らない
という→亡くなったという拉致被害者もそのような悲惨な状況に
あってしまったのではないかと危惧するものです。

100%投票率で100%賛成投票する仕組みで脱北者をチェックし
家族欠員があるとその家族に食料支給を止めるという、はじき出
された子供たちが路上に浮浪している。
一方ででっち上げの農産物収穫レセプションが行われるという
そのレセプションが近くなるとどういう訳か日本のあちこちで
名産品の組織的な盗難が相次ぐ、山形さくらんぼ、桃、コシヒカリ
ぶどう、などなど、不思議にマツタケ盗難話は聞かない。