「戦後左翼の大きな悪影響」の一つが無神論だ。

そのため、人々は享楽を追いかけ刹那的になっている。
地に足が着いた国民とは言えない。

ここで政治はビジョンを示し、しっかり大衆を指導すべきときだ。

「ここでビジョンを語らねばいつ語るのか」と言いたい。


《「家族中心主義を打ち出し、魂の永遠の継続」を訴えるべき》

この制度は、「したいものができ、したくないものはしなくて良い制度」とする。
「自由選択性とする。」

たとえば努力の結果、エリートサラリーマンの小金持ちにになったとする。
貧乏人のこせがれが、努力の末に這い上がって小金持ちになった業績は大きい。

現在では、死んでしまえば、ハゲタカのように関係者が食い荒らし、その業績もシャボン玉のように消えてなくなる。
成り上がりサラリーマンも、跡形もなく消え去っていく。

「これでは、刹那的になるな」と言うほうが無理だ。

政治が乗り出し、家族の継続性を確立すべきときだ。

戸籍制度という優秀な日本国民ならでの制度を生かすことになる。
指名した子供に財産を譲り、戸籍主の継続が出来るようしたら良いのだ。
(子供は一律と言う、悪平等を排除する。生まれながらの金持ちが発生しないよう、一定以上の相続税は高くすべきは当たり前。)

戸籍主が継続されたことがわかるよう、(求められれば)立派な戸籍謄本を発行する。
国のお墨付きがある立派な戸籍簿謄本が発行され、そこには次次に戸籍主が書きこまれ、つながっていく。

毎年一回の家族の日には、先祖を思い出し感謝する催しも行えば、
魂がこの地に永遠にのこって行くことになる。
(子供のいない方には、指名した人に相続ができるようすればよい。)

正しい継続をすることが、人生の一つの目標になり、人は正しく生きようとし、
しっかり家族経営に励むようになる。

もちろん、そうしたくない人はする必要もないことだ。

したい人ができるようしたら良いのだ。

「魂をこの地に残し、引き続いていける制度」

今こそ政治はビジョンを熱く語り、さまよえ大衆の魂を「地に足がついたもの」にしていくべきだ。

「家族中心主義を打ち出し、魂の永遠の継続」を訴えるべき時だ。