《システムそのものが陳腐化している》

「公務員先生が工場みたいな学校に、いっせいに生徒を集め、同時に教育する」

これは、工業化社会には必要な教育だった。
政府はインフラ整備し、工業を盛んにし、国民がスムースに働けるよう教育した。

工場で働き、規格製品と大量に効率よく造るには、それに対応した教育と訓練が必要だった。

ただし?
ネット時代。

工場には人影はない。

規格品を大量に作る教育では対応できなくなっている。

「公務員先生が工場みたいな学校に、いっせいに生徒を集め、同時に教育する」
と言うシステムそのものが陳腐化している。


《世界一の消費者である日本国民の選択にゆだねるべき》

物が有り余った時代、需要を喚起し発展するには国民の高い教養文化が必要だ。
大学にはいつでもいけるのだから、受験技術を磨く教育など意味なさない。
スポーツ芸術、その他いろんな技術、人間教育などから価値が生まれてくるわけだ。

何をどう進め何を廃棄するか?
官僚が机の上でいくら考えても正しい回答など得られない。

サイバー大の定員計画を文部省がクレームをつけ削減させた。
これなどいらぬおせっかいと言えよう。

文部省の規制緩和が必要。

官僚は規制をはずせ。
何がよいかは国民に選択させるべき。
世界一の消費者である日本国民の選択にゆだねるべきだ。


《教育バウチャー制度是非の論議は、まさに時代にあった制度論議》

現在、教育バウチャー制度が論議されている。

子供=親に補助金をわたし、何をどう教育するか国民にゆだねるべきだ。
塾の授業や、いろんな習い事も、単位として認め、何を教育するかは親に自由に選択させたらよい。

教育バウチャー制度是非の論議は、まさに時代にあった制度論議と言える。

曲折は経たとして、導入し実施すべきは言うまでもない。