怒夢巣 のメッセージ:

> yam のメッセージ:
>
> > "怒夢巣" <rxn11342@mail.goo.ne.jp> wrote in message
> > news:1153424109.523086.197530@m79g2000cwm.googlegroups.com...
> > > 戦争の最高責任者であったにも拘わらず終生何一つ戦争責任を果たさず、
> >
> > 昭和天皇の戦争に対する責任という意味では、たしかに最高責任者という
> > 立場にあったが、祭りの神輿にされただけで、彼自身が戦争の推進者では
> > なかった事は、後年の研究からも明らかだよね。
>
> ヒロヒトは当初戦争の積極推進論者で無かった事は事実だが、最終的には本人が納得した
> 上で対米英蘭戦の宣戦布告をした事も又事実だ。

「ヒロヒト」などという、敬意を欠いた表現はいかがなものか?

そのような白人、シナ・韓国・朝鮮人が軽蔑的に使う呼び捨ての呼称をあからさまに
日本人の前で使うのはお控えください。

あなたが良識のない人間にしか見えません。


> 例えば1941年1月25日の南部仏印に対する作戦準備について杉山参謀総長上奏時点に
> おいては、以下の様に下問しており、決して積極的戦争推進論の立場には立っていない。
>
> 上(ヒロヒト):オ前ノ云フ対仏印作戦ハ最悪ノ場合行ハル、ト思フガ若シ協定ガ順調二
> 進ンダラヤラズニスムト思フ如何
> 総長:御モットモデス 協定順調二進メバ兵力不充分ノ帝国ハ作戦ヲスル必要アリマセン
> 上:作戦ヲヤレバ戦面拡大シ国力ニ影響ス
> 以上(防衛庁、戦史叢書)
>
> 又1941年2月3日には木戸内大臣に対し、
>
> 両総長、首相より対仏印・泰施策に関し上奏を聴いたが、自分としては主義としては相手
> 方の弱りたるに乗じて要求をなすが如き所謂火事場泥棒式のことは好まないのであるが、
> 今日の世界の大変局に対処する場合、所謂宋襄の仁を為すが如き結果となつても面白くな
> いので、あの案は認めておいたが、実行については慎重を期する必要があると思ふ。
> 以上(木戸幸一日記)
>
> と述べており、同じく積極的戦争推進論の立場ではない。
>
> しかし月日を経て1941年7月2日の(国策決定)御前会議に於いて「情勢ノ推移二伴フ帝国
> 国策要綱」採択の後、ヒロヒトがこれを裁可した事により、南部仏印への地上部隊と航空
> 部隊の進駐は決定した。
>
> 1941年7月30日の永野修身軍令部総長による早期開戦論に関する内奏を経て、1941年9月5日
> に、近衛首相の「帝國国策遂行要領」に関する内奏を受けた際には、
>
> 御  上 愈々開戦となりたる場合作戦上の勝算ありや
> 杉山総長 勝算あり
> 御  上 支那事変勃発の際陸軍は僅か3D〔三個師団の意〕を以て一撃を与ふれば直に和
> 平となるとのことを聞けり、杉山は当時陸相の職にあり...
> 杉山総長 支那は地域広大出口入口多くして作戦上の困難意外に多く...
> 御  上 夫等については其都度注意したるにあらずや、杉山は虚言を申すや
> 永野総長 御容しを得まして永野より奏上申上たきことこれあり、発言の御容しを乞ひ奉る
> 御  上 宜しい
> 永野総長 古来兵に一〇〇パーセント勝算ありといふが如きことなし、孫子に日く...。独
> 乙とセルビアと戦ふが如きの場合はともかく苛も相近似する国家間の戦は決して成算を万
> 全に期することは難し。但し玄に病人ありて放置すれば死すること確実なるも手術すれば
> 七分は助〔か〕る見込ありとの医師の診断ありとせば夫は己むを得ざる天命と観ずる外な
> かるべし。今日の事態は将に然り。...若し徒に時日を遷延して足腰立たざるに及びて戦を
> 強いらるるも最早如何ともなすこと能はざるなり
> 御  上 よし解かつた [御気色和らげり]
> 近衛総理 明日の議題を変更致しますか如何取計らいませうか。
> 御  上 変更に及ばず。
> 以上(「高木惣吉資料」)
>
> と、本人は開戦に一応納得している。
>
> しかし翌9月6日の(国策決定)御前会議では外交にさらに時間を与えるよう統帥部に協力
> を求める等、開戦にまっしぐらに突き進んで行った訳では無い事も事実だが、かと言って
> 全くの平和主義者ではなく、9月9日には南進作戦に関する上奏下問で作戦を遂行した場合
> の対策も杉山参謀総長との間で具体的に協議している。
>
> 1941年10月13日にヒロヒトは木戸内大臣に対し、「昨今の情況にては日米交渉の成立は
> 漸次望み薄くなりたる様に思はるる処、万一開戦となるが如き場合には、今度は宣戦の詔
> 勅を発することとなるべし」と語り、開戦の覚悟はほぼ固まったと思われる。
>
> 又1941年11月2日に、東条首相、永野軍令部総長、杉山参謀総長が参内した際、
> 天皇:(戦争の)大義名分を如何に考ふるや
> 東条:目下研究中でありまして何れ奏上致します
>
> と下問し、開戦した場合の大義名分まで心配している。又同日の「大本営機密戦争日誌」
> には、「御上ノゴ機嫌ウルハシ、総長スデニ御上ハ決意遊バサレアルモノト拝察シ安堵ス
> 」と記されており、ヒロヒトの開戦の決意がこの時点でにほぼ固まった状況が伺える。
>
> 又11月4日にヒロヒトが木戸に下問した際も、
> 「泰国に侵入する場合には大義名分を明にするの要ありと思ふ。右に対する研究如何。豪
> 州を基地としての航空機及潜水艦による反撃に対し、石油の獲得輸送を支障なく実行し得
> るや否や。右に対する方策如何。」(木戸幸一日記)
>
> と、しきりに戦争の大儀に拘っている(これは逆に言えば、然るべき大義さえ見つかれば
> 、戦争も辞さずと言う姿勢だ)と同時に、個別の戦術にも逐一口出ししている(大元帥ヒ
> ロヒトが単なる軍部の操り人形と言うのは大嘘)。
>
> 1941年11月5日、(国策決定)御前会議で、ヒロヒトは「帝国国策遂行要領」を裁可し、
> 外交交渉のタイムリミットを12月1日午前零時と定める事により対米英蘭戦の決意に至る
> 。同日の大本営機密戦争日誌には「御上モゴ満足ニテ、ゴ決意マスマス筆固ヲ加へラレタ
> ルガゴトク拝察セラレタリ」と記されている。
>
> 1941年11月30日、高松宮参内し、兄・昭和天皇に新たな戦争を思いとどまるようにと進言
> するも、会談はわずか五分で終わる。(短時間しか会談が行われなかった事より、この時
> 点でヒロヒトの開戦の決意は既に完全に固まっていたと思われる。)
>
> 1941年12月1日の対米英蘭開戦を最終決定した(国策決定)御前会議で、ヒロヒトは以下
> の様に発言したと「杉山メモ」には記されている。
>
> 「此の様になることは已むを得ぬことだ、どうか陸海軍はよく協調してやれ」、と両総長
> に対して指示、お上は説明に対し一々領かれ何等御不安の御様子を拝せず、御気色麗しき
> やに拝し恐懼感激の至りなり
>
> こうして12月8日開戦の火蓋が切って落とされた。
>
>
>
> 私がこれまでに目にした二次資料を元に、ヒロヒトが開戦を決意するに至るまでの時系列
> 的説明をすれば以上の通りだが、これを見れば明らかな様に、少なくとも対米戦において
> は軍部が独走して一方的に開戦に踏み切った事実は無く(対中戦では軍部の独走があり、
> ヒロヒトはこれを追認するが、軍部の独走であっても、戦果があがった場合は褒賞を与える
> 程のご都合主義)、度重なる天皇への上奏下問を経て、最終的にヒロヒトが開戦方針を納
> 得した上で、米英蘭に対してヒロヒトの名で宣戦布告した。
>
> > むしろ、戦争に突き進もうとする軍部にが、批判的な言動が多かったが、
> > それを強行に叫び続けられる状況ではなかったよね。
>
> 「開戦の詔書」がヒロヒトの名で出された事は改めて指摘するまでも無いが、この詔書へ
> の署名の際、ヒロヒトが軍部の脅迫に晒されていたと言う事実でもあるのか。あるのなら
> 示したまえ。
>
> 脅迫の事実が若し無いなら、その署名はヒロヒトの自由意志に基づく署名と言う事になる
> 。仮にヒロヒトがこの時点でも尚積極的開戦論者で無かったとしても、天皇位や自らの命
> をかけて戦争を阻止しようと言う強固な意志が全く無かった事は明白だ。ヒロヒトは平和
> 主義者だったなどと言うのは、戦後でっち上げられた虚像に過ぎない。
>
> > 仮に、彼が戦争に強く反対したところで、「御病気」扱いされて、闇から闇に
> > 葬られただけだったでしょうな。
>
> ヒロヒトが戦争に断固反対する事により、病人扱いされて実権を奪われていた可能性は否
> 定しない。ヒロヒトが戦争に断固反対する事により、軍部に暗殺された可能性も否定はし
> ない。しかし結果としてヒロヒトは戦争に身を挺して断固反対しなかった事実のみが厳然
> と残っている訳であり、歴史に仮定を持ち出しても何の意味も無い。
>
> > > ヒロヒトがのこのこ靖国に現れれば、心穏やかならぬ人間も少なからずいる筈だ。
> >
> > 昭和天皇の靖国参拝に対して、不愉快に感じる戦死者と、ありがたく
> > 感じる戦死者では、後者の方が多いでしょう。
>
> それはどうかな。この戦争(特に太平洋戦争)で死亡した将兵は、天皇と日本国の自存自
> 衛の為に鬼畜米英と戦い、戦死、餓死或いは病死したのだ。天皇が敵国アメリカにいずれ
> 寝返り、日本がアメリカの属国に成り下がる事を願ったり、予測したりして戦った不埒な
> 将兵など一人としていなかった事は明白だ。ヒロヒトの寝返りにより、結局自らの死が犬死
> となってしまった事実を知れば、死んでも死に切れないと思いをする将兵は決して少なくは
> 無い筈だ。