我々の世代は鉄器時代かもしれない?。
 鉄は力なり、鉄こそが国を作り、国力を保持して来た。

 その延長線上に軽合金、マグネシュ−ム合金、チタン合金、マンガン鋼等が目的に応じて存在する。
 軽量合金の発達は鉄器時代後期に入っているのかも知れない。

 ところで、一定の質量の物を動かす場合には、素材に関り無く等しく熱量(エネルギ−)を必要とすると記憶しているが間違いだっただろうか? 
 投稿の理論は確かに面白いが、何か一つ欠けている気がする。
 今迄乗った車(殆どマツダ車)とテストした車(外車が多い)の中では、必ずしも排気量が小さいものが有利ではなかったし、軽い車体が絶対有利とも言えない。
 欠けたと思う部分は慣性とCD値の捉え方だろう。
 平均乗車員数が限りなく1に近いにも関らず、室内空間の広さを競い、現在では乗用車とライトバンの区別すらつかないくらい投影面積の大きい車が横行している。 空気を押しのける力がどれ位必要か理解しているのか疑問に思える車さえ存在する。
 確かに車体重量は軽い方が有利に働くが、発進停止の繰り返し回数が少ないと、意外にも1000Kgの車よりも1400Kgの方が燃費は良い。此れは慣性の法則が有利に働いているからだろう。

 NSXは確かに誇れる車だが、板金費用に新車が一台買える位かかる。ベンツがFRPのフェンダ−等で構成するスポ−ツを販売していたが、同じく修理が出来ない。(困難) 
 
 いずれかの時代には、炭素の連鎖化合物で構成された車体、又はアモルフォスで構成された車体に乗る事にはなるだろうが、その前に機械損失を軽減する方が先とも思う。

 二極化の時代、私は自転車のグル-プに入るだろうから、軽量の自転車の方が有難い。 人間一人移動させる装置としての自動車は余りにも無駄が多すぎる。今後は置物としての役にしか立たないかも知れない。

 提言は面白く読ませて貰った。