久野です。

kodera_m@cool.odn.ne.jpさん:
> >   そうなんだ。一般に上を通る方が新しいわけですが、南海本線の方が
> > 新しいのですね。汐見橋支線をカブリツキしていると道路とかの立体交
> > 差は全部上を通る(こちらは地平)なので、さすがに一番古いんだなと思っ
> > ていたのですが。
> 
> いやいや、そうは書かれていないかと。南海本線は1885年に難波か

  すいません、上はミスタイプで「高野線が」新しいんですよね。

> ら開通し始めていますが、高野線は1898年に堺東(にあたる場所)〜
> 狭山の方が開通、交差地点に達するのは1900年ですね。この時点で
> 上を跨いだのだと。

  分かります。そういうつもりでいたのに指が「南海本線」と書いてし
まいました。

> >   今は高架に上がって南海本線の岸里玉出に沿うようになってそこに短
> > いホームがあるので、その「昔の」汐見橋支線ホームの上に現在のホー
> > ムがあるということでしょうか。

> いや、前の私のフォローに書いた様に岸里玉出としての仮駅はそれ
> に近かったんじゃないかと思うんですけどね。また別のような。
> 前の記事で、右を見ていたそうなので多分見られなかったんじゃな
> いかと思う左側に有った、元来の高野線としての築堤上の方に、岸
> 里玉出統合前の岸ノ里駅汐見橋方面が有ったという事ではないかと。

  確かに左はよく見てませんでしたが、高架上の駅みたいな大規模な
ものがあったんですか?

> 前に挙げた高架事業のWebコンテンツ、
> http://www.fumikiri.com/overpass/s30_result/end/awd_osk01.html
> の拡大図
> http://www.fumikiri.com/overpass/s30_result/end/awd_osk01_photo3.html
> http://www.fumikiri.com/overpass/s30_result/end/awd_osk01_photo2.html
> を見ると、南海本線側の高架化前各駅位置関係と、西連絡線の位置
> 関係は分かると思います。

  うーん、今のは見たから分かるんですけど、未だに旧「岸里」「玉出」
がどこなのか分かりません。

> ・南海本線開通、当初岸ノ里はなし
> ・高野線開通、交点に駅なし
> (合併)
> ・高野線難波に乗り入れ(東連絡線)、跨いだ西側に汐見橋行きの岸
>  ノ里駅出来る、高野〜難波行きの岸ノ里はホームなし(1925)
> ・南海本線玉出〜汐見橋への西連絡線(1926)
> ・東側に難波直通が止まれる岸ノ里ホーム(1970)
> ・跨いでいた元々の高野線分断(1985)
> ・南海本線高架完成で岸里玉出統合駅(1993)
> ・岸里玉出高架ホーム(1995)

> 岸里玉出としての地上ホームが2年間は有ったのは見当が付きます。

  その時代の汐見橋支線ホームはどこにあったんでしょう? 

> 難波直通(戦時中断有り)を始めた当初の汐見橋発着列車は、住吉東
> まで運転していたそうです(南海本線をまたいでいた)。
> またぐのをやめたのはどの時点か(1970の高野線岸ノ里ホーム開設
> との関係は?、高野線列車密度逼迫のため?)。
> 岸里玉出の仮ホーム以前に、汐見橋〜玉出系統は有ったのか?
> あたりが分かりません。

> http://www.fumikiri.com/overpass/s30_result/end/awd_osk01_photo2.html
> の図は、高架工事のために玉出〜住ノ江の複々線中2線が撤去されて
> るんですよね。西連絡線はいきなり合流してますが、これだと玉出
> 駅発着してた様には思えずで... 統合までは汐見橋〜岸ノ里だった
> んでしょうか?

  確かにこういう運用は地図じゃ済まないのでさらに分かりませんね。

      ここで会話してれば地元の人が教えてくれるでしょう…    久野