久野です。

popcorn05@bridge.ocn.ne.jpさん:
>     「実名でも言いたいことが言える社会」と「匿名でないと言い
>      たいことが言えない社会」では前者の方がより「言論の自由
>      がある」と思う(久野)
> 
> をいうことにはどれだけの意味があるかを考えてみて欲しい。この中には、
> 
>      「言いたい事が言える」「言いたいことが言えない」
> 
> は、実は単なる<心情的>なものでしかありえないのに、

  それは主観的な判断ではないですか。

  実名で考えていることを述べたために命を落とすなどの危険に遭遇し
た例は歴史上/現在の世界に多く存在していると私は考えていたのです
が、それは正しくないとのご主張ですか。

  私は世の中がそのような実在した(今も実在するであろう)状態にでき
るだけ近づいて欲しくないと「心情的に」考えますが、そのような心情
は理解されないということでしょうか。

> との嫌味を込めて、
> 
>     「実名でないと言いたいことが言えない社会」と「匿名でも言い
>      たい事が言える社会」

  イヤミかどうかは私の関知しないところです。私は素直な人間なので :-P

  では「実名でのみ言いたいことが言える社会」と「匿名でのみ言いた
いことが言える社会」という設定を想定した場合、どちらがより望まし
いとお考えか、うかがわせて頂けますか。

                        よろしく。                      久野

P.S. 上記の議論の流れからいくと「言える」とは「言ったことによる
     肉体的/社会的制裁がない」という意味になりますよね。