原爆投下は、果たして相手がドイツやイタリアで有れば多分あり得なかっただろうと感じている。
 ソビエトの参戦と原爆投下は直接には関係無いと思うが、既に始まっていた東西冷戦の対ソビエトに対する大きな影響を与えた事には変わりはないだろう。
 そして、ソビエトが北海道の割譲を執拗に要求していた事は、国民政府の蒋介石回想禄などに記載されているので、アメリカとしても早く終戦を迎えたいと思った事は有るだろうと思う。
 ヤルタからポ−ツマスに至る間には戦局、環境は大いに変化しているし、考え方も変わっているだろう。
 一点を取ると矛盾と思われる事も、時系列的に見ると理解出来ることがある。
 何れにしても、本人がその様に感じたので有れば、その時点では、その様に解釈されたのだろう。

 序でに、反核、反原爆運動そのものを否定する者ではないが、只被害の悲惨さを訴えても、銃口の前に立たされた俘虜の命乞いに等しい。
 歴史的に見ると、相手よりも有利な兵器を手にした者が、其れを増やしこそすれ、手放した例を知らない。
 私が反核運動に批判的なのはこの辺の理由もあるだろう。
 終戦間もなくして生まれた私でさえ、その破壊力と被爆者に残した疾患、外傷、後遺障害を日常の事として感じ、目にしていた。
 しかし、被爆者だけが特別な被害者とは思えない。小倉、八幡の空襲や多くの地方都市を目標とした爆撃の被害者も同様に戦争の被害者ではないだろうか?
 中国山地の中に戦時中作られたダムが有る。このダムは多くの中国からの強制労働者に拠って造られたが、コンクリ−トの中に白化した点(小さな穴)があったので釘で掘っていると、人骨だと言われた。 堤体強度には関係の内部分だったが、多くの人が埋められている様子の話を土地の古い人から聞かされた。
 形こそ違え多くの戦争の被害者が存在し、そして多くの加害者が存在する。
 反戦運動には賛同するが、特定の兵器の被害者だけに賛同する事は出来ない。
 既に開けてしまったパンドラの箱は閉めても手遅れと思う。 願わくば被害者にも加害者にもならないバランスを保ちたいものだ。