9.11のとき、国防総省に突っ込んだ無人機にしろ、
世界貿易センタービルに突っ込んだ飛行機の腹部に取り付けられていた巨大な
誘導装置にしろ、これも、電子制御フル活用の広義のロボットといえる。

ロボットの定義を人のような手足をもったロボットをイメージすると、オート
メーションの産業ロボットがイメージできないが、実際には人に変わって制御
機能を持って動作し、人の目的を実現する機械装置であって、いたるところに
存在する。

哲学的に人間の意識との違いをなにかというと、境目はもうなくなってきてい
るのではないか。感情さえプログラムされ自己学習で成長していけば、創造主
が自然ではなく人間であるということくらい。
ロボットが子供作り(人間作り)の代用という論理は、成り立つ。

事実、現代までの歴史において、人間は、常に人間ロボットを必要としてき
た。農民も軍人も権力者のロボットであった。意志決定を行って強制手段を行
使する権力は、いかなる時代もロボット抜きにしては成り立たない。
人類の歴史は、ロボットから出ようとする人間の行動や思想と、
ロボットの枠内で人間を生きよう(生かそう)とする行動や思想との、対決で
あった。こういうロボット史観が現代の学問にないのは、実に奇異なことでは
ないでしょうか。

政界を見ても、世界は、ロボットたる民族やロボットたる国家によって成り
立っている面と、そこから逸脱しようとする動きとのせめぎあいといっても良
い。政治力学というのは、ロボットや人間という史観は意識しない。あくまで
政治が動く物理的なベクトルの学問だ。だが、政治がこのようなベクトルで扱
われる限り、人間は、人間を満たす政治を手に入れることはできないだろう。

眼を転じて、我国の国政にしても、創価学会も公明党もロボットだし、自民党
や民主党や共産党といった組織も構成員も支持者も、はたして、ロボットの領
域を飛び出した視点とロボットの視点とを見比べて動かされているかという
と、明らかにロボットの強烈な籠のなかでしか動いていない。マスコミしか
り。

人間の脱ロボット史観が望まれるところである。







えすさんの<fd9f36$6u2$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>"山之彼方" <yamano_anatano_soratooku@hotmail.co.jp> wrote in message news:OpFJi.995$Qr.238@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net...
>> 子供はいなくてもロボットがいるがな。
>> 未来戦争は。
>
>まさか。誰も子供を作らなくなるということは、すべての人々が世界平和を理解しているのですから、戦闘用のロボットなど作るはずが無いでしょう。 
>
>映画でロボットの戦争があるのは、世界の子作りが永久に止まらないかも知れない絶望感から出た表現ですよ。
>大昔の小説に「悪魔の発明」という軍艦の物語があるじゃないですか。