多くの国で自国の軍隊を攻撃軍と称してはいない。総て防衛軍である。自衛隊の呼称は正に言い得て妙に的を得ている。 我が国では国防費の上限をGDPの1%としているが、その1%が国家予算の国さえ存在する。
 ある国での士官学校で我が国の防衛装備に関して講演した人から聞いた談に拠ると、戦車二百数十両・・と数字を列挙し始めた途端に感嘆の声が上がったそうだ。
 彼等に取っては、その装備を備える事は国民総生産の数年分に相当する、事実上天文学的金額だったそうだ。
 国防費に算入する予算表示は国に拠って異なるが、英国の算出方法で言えば、海上保安庁の予算も軍人恩給も国防費とされる。常に軍事大国のベスト5以内にランクされるのは、その為だが、実際の装備は純国産技術の上に構築されているものは少ない。又商船構造の巡視船を軍艦としてカウントするには違和感を感じる。
 中国海軍国産の巡洋艦を軍艦と称するに等しい。その見方で言えば、外洋型のフェリ−ボ−トに砲を装備すれば、明日にでも大規模な巡洋艦群が成り立ち、強襲揚陸艦が驚く程の数出来上がる。
 装備、生産技術、開発能力等は日々の積み重ねで、最先端技術の多くは民需専攻になっている。 既に軍備開発と民間汎用品との境は非常に少なくなっている。
 例えば自家用車のGPSは、米軍の位置確認の為にロランに替わるものとして開発され、我々はその衛星からの電波で位置を確認している。軍事衛星の民間解放の一部であり、その衛星は民需品を利用した部分もある。
 正に産軍共同のものである。
 輸送機や、哨戒機の多くは民間旅客機から派生して、専用装備をしているのが多く見られる。 試作CX,PXの写真を見る限り、近距離型旅客機と長距離型旅客機に見える。国産B7X7すら想像させる。
 軍備と産業は車の両輪である事を実感する。
 本来の防備は、産業の持久力、開発力であり、特別なものでは無い。 火器、ミサイル、戦闘機等も日頃から民間工場の転用を意識して我が国なりの設計を行っていれば良い。
 国防の基本は国民の意思であり、歴史が示す通り、如何なる近代兵器の前でも国民の意思が堅ければ国は無くならない。そのことを近くはベトナム、イラクが物語っている。
 国防費は世界のGDPの25%迄は許容されるべきと考えている。最もそれだけの支出は不可能だが、国連の負担金、ODA等形を変えて国益にかなうものは広い意味での国防費と言える。