結論ははっきりしている。
民主主義を制限する意図である。
民主主義を実現する意図はない。

戦争経済への門戸開放が意図されている。
『責任』という言葉に注意しよう。
『責任』ということばは、ヒットラーの性抑圧と実は通じているのです。
ヒットラーはファシズムを、まず、人間としての自信を奪うことから開始す
る。
性はだれでも持っている。これの解放は人間のエネルギーの解放にいたる。こ
こがファシストから見れば一番困る。人間がエネルギーを持つから。だから、
性の取り締まりを実施する。
日本軍国主義においても、兵隊が戦争している間に女房に浮気されては安心し
て戦争できないから姦通罪設ける。
猥褻に対する文学芸術への干渉はこうしてファシズムの第一の標的になる。

『責任』という言葉は、ファシズムの性抑圧と同類の役目を期待している。
「国際責任」を果たすために海外派兵をしなければならない。
「自己責任」を果たすために海外への情報取得の行脚やボランティアは罰す
る。

『責任』といわれ、シュンとした国民を期待し、そこに、人権抑圧のファシス
ト政策を断行していく。
血塗られた「君が代」を無理やり国家に制度化し、国歌を歌う国民的「責任」
国を愛する愛国の「責任」
国際に貢献する「責任」
消費税upしようが年金ぼろ法案であろうがとてつもない額を納税させる法律を
作り、納税「責任」を追及していく。
やがて、徴兵の義務を果たす国防の「責任」
軍に私有財産を蹂躙されても国防のために我慢する「責任」
物価高騰の経済を統制するため、国が勝つまでは欲しがらない「責任」

およそ「責任」ということばは
国家が国民の生命と財産を守る「責任」はそっちのけで、国民に求める「責
任」を声高に強調し、基本的人権を制限されても「文句を言わない責任」へと
向かう。
これが、すでに、日本において進行中である。

日本はファシズムの渦中にあることを、日本国民は気付いていない。
このような言葉のマジックでシュンとなり、日本人は、完全情報公開を求める
こともなく、政治、経済、行政、軍、いかなる方面への情報公開も要求せず、
買いたくもない株をかわされてる機能不全のマーケットに置かれているような
ものだ。我々が、情報公開のもとに真実を認識し、自分の目で判断し主体的選
択を実施したなら、はたして、年金原資の闇の中の使途不明金をゆるすだろう
か。官僚の目に余る王様特権生活を許すだろうか、民の企業を蹂躙している官
より首に巻かれている縄の数々をゆるすだろうか、自衛隊の海外派兵の現実を
内部からの情報公開で暴露したとき国民はそこにある問題点をもくさつするだ
ろうか。国民は目も耳も奪われ、考える自己の主体的選択を奪われ、口から
発する言葉さえ持たない奴隷、土人状態にある。マスコミも沈黙している。そ
して「責任」という言葉だけが飛び跳ねているのである。


いまや、この「責任」に基づいて、改憲を遂行するというのである。何たるフ
ァシズムか。このような路線の先に、わが国の未来があるだろうか。
情報公開と個人の主体的選択を信条とする民主主義の『み』の字も騒がれな
い。個人の「責任」のみが声高に騒がれる。民主主義は、日本においては存在
していないのである。
改憲を議論するまえに、民主主義とは何か、手続き民主主義という多数さえ占
めれば人殺しでも何でもできるとするものが、本当に民主主義なのか、民主主
義を議論し、広く国民、マスコミに訴える必要がある。