ロング・グットバイ(1)

○メイド服とジーンズ

私はそのとき狸小路の創生川に面した通りの角にある喫茶店で、
時間を潰していた。店内をパタパタと行き交う特徴的な制服の
ウェイトレスを、ときどき眺めたりして、『今日のオススメ』
のローズヒップ・ティーを啜り、モンブランに銀のスプーンを
点き立てては、あれこれとネタを考えていた。
店内にはヘンデルの水上の音楽が流れている。

窓の外から人に見つかるのもいやだったので、壁際に席をとり、
入り口から入ってくる視線からも隠れる場所にいたので、どう
やって、彼女が私を見つけたのか分からない。
やみくもに、手元の明かりが遮られたと思うと、彼女がそこに
たっていた。

「あなたがほくなんさんね。
 ここに座ってもいいかしら。」

一瞬、ウェイトレスのひとりかと思ったが、そうではなかった。
ここのウェイトレスの顔と名前(本名も、源氏名も)は、しっ
かり覚えている。生き別れの兄の顔を見間違えることはあって
も、彼女がここのウェイトレスではないことは、確信すること
ができる。
彼女はタマゴに小筆でちょんちょんと目鼻を描きこんだような
ような美人で、髪は肩までのストレートでバレッタかなにかで
うしろ手にまとめてた。いでたちはブルーのジーンズとモーブ
色の6分袖ポロシャツというカジュアルなものだった。

「えーっと、
 どなたでしたっけ?」

これだから自分は女の子の受けが悪いんだろうなと、内心舌打
ちした。だれだって、そんな扱いされたら、横面を張り倒した
くなるのも無理ないなと思った。一度会っただけで、どこで、
いつあって、そのときの彼女の服とか、髪型とか、アクセサリ
までスラスラと出てくるくらいじゃないとダメなんだろうな、
ああっ、と嘆息したが、それでも、それ以上の台詞なんかでて
こなかった。

「はじめまして、
 私たちは初対面よ、
 ネットニュースのあなたの記事を読みました。
 おじさんが影で画策している見合いか縁談を
 断る口実の狂言劇の相手役、というのに興味があるの。
 私はあなたの『おさななじみ』じゃないけれど、
 あなたの相手役にしていただけないかしら…」

「えっ、記事?
 でも、あれは、
 ちょっと、
 それに…」

まるで蛇に睨まれたカエルだった。がんばれナメクジ!
ネットニュースの記事を読んで勝手にヘンな人物像を空想して、
勝手に誤解されているような間の悪さを感じたが、どう言い繕っ
たらよいのか、言葉にならなかった。
これは、新手のストーカーだろうか?
ウェイトレスがやって来て、彼女に注文を聞いた。

「いらっしゃいませ、
 ご注文をおうかがいします」


○転がりだしたもの

車の助手席に座っている彼女に、改めて視線をやると、案外小
柄な女性であることが分かった。ジーンズには不釣合いな渦巻
き貝をモチーフにしたイアリングをしていた。
彼女はそこにあった音楽CDを物色しながら、品そろえが気に
入らないのか、入れては出し、早回しをしては、また取り替え
をしていた。CDの印字面を読むのがもどかしそうだ。
多分、コンタクトレンズをしているのだろう、メガネをかけた
彼女を想像すると、背筋に走るものがあった。彼女は平均より
はずっと美人だった。

「えっと、よかったら、名前とか教えてくれないかな。
 一方的に、相手に素性を知られているというのは、
 ぼくの方の分が悪すぎるとおもうんだ。」

「そうね、具合はともかく、格好つかないわね。
 それじゃ、名前は『笠原メイ』ということにして、
 詳しい設定はここに書いてあるから、
 あとで目を通しておいて」

彼女はそう言うと、エトロのショルダーバックからA4用紙
10枚くらいをホチキス留めした書類を取り出した。
ハンドルを握って運転していた私は、突然渡された書類をどこ
に置こうか困って、とりあえず、ダッシュボードの上に抛り投
げた。紙にはワープロの12ポイントぐらいの文字で、ぎっし
りと名前から生年月日、学歴に職歴などがぎっしりと書き込ま
れていた。興信所の身上調査の報告書(実際には見たことない
が)だってこんなに詳しくはないぞと思った。
そのとき、実はこれは本名で、この身上書の内容も本物ではな
いかという疑念もわき起こった。

「じゃあ、笠原さん、
 とりあえず、どこかで食事でもしようか。」

「メイでいいわ、
 それよりも、あなたの狂言劇の台本はないの?
 段取りくらい教えてもらわないと、
 役者は困ってしまうわ」

「じつは、まだ、ぼんやりと構想があるだけで、具体的にはな
にもつくっていないんだ」照れたような口まわしで答えると、
彼女はぷいっと助手席の窓を見遣って「そうっ」と呟いた。

それから2人でドンキーコングに行って(くそっ、こんどから
近くのフランス料理店をすべて調べてやる!)ハンバーグステー
キを食べて、彼女を近くの駅で降ろして分かれた。
彼女に携帯の電話番号を教えると、彼女は週末にまた連絡をす
るといって、駅のホームに消えた。
私には、彼女を婚約者としておじのうちに連れて行く段取りを
することと、この狂言劇の台本を作ること、そして、彼女の
『設定書』をよく吟味する DoIt アイテムがスケジュールに
追加された。
カーステレオには、ムード・ミュージックのCDがかけてある。
彼女は選曲を諦めて適当なものを入れていったのだろう。
ポール・モーリアの『恋は水色』なんかが、空々しく流れてい
るのだった。
 

※これはフィクションで、実在の人物・団体とは
 全然関係ありません。

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のりたま@予想以上に膨らんじゃいましたので、
     分割いたしました。