神戸です。

On Thu, 24 Feb 2005 15:17:48 +0000 (UTC), Shinji KONO <kono@ie.u- 
ryukyu.ac.jp> wrote:
> 河野真治 @ 琉球大学情報工学です。米澤先生にFORTRANを習ったの
> が密かに自慢だったりするのだが... (寝てたけど)
> In article <opsmo37lcge5o5lm@news.media.kyoto-u.ac.jp>, 
> 神戸隆行<kando@nerimadors.or.jp> writes
>> 「オイ、今度出たFORTRANってのは凄いらしいぞ?
>>  何でも式がそのまま書けるそうだ。」
>> 「そいつぁスゲェな。」
> センタでカードでFORTRANを使う講義を取ったとき(たぶん1980年だと
> 思うんだが...) カードがうれしくて最初に書いたプログラムが、
<中略>
> カードで一生懸命インデントして、きれいにリスティングされるよ
> うにしてたら、「なんでそんなことするの?」みたいなコメントを
> もらった記憶が。

・桁数制限があるのでインデントが深くなると一行に書ける文字の数が減る
・ソースが長くなるとコンパイルが遅くなるのでそもそも空白を嫌う
 (昔はソースをコンパイラが読む部分もそれなりに重かったらしいです。
 今よりコンパイラの最適化部分の重みが軽いというせいもありましょう。
 コンパイル時間の長短は課金に直接響くわけで、
 実際、偏執狂的に空白が取り除かれた古いFORTRANソースをいくつか見ました。)
・当初は行=カードなので
 カード単位で入れ替えて編集・再利用することがあったのでインデントしても無意味

…って辺りが古いFORTRAN文化にはあったので「なんで?」に繋がったのかなと妄想します。

> とか書いていくのが普通だったらしい。本当に式が書けるだけの
> アセンブラって感じでした。

式をパーズしてくれるってことが驚異でもあり、ありがたくもあったったんでしょう。
一々基本演算単位に分解して、中間の値の置き場所も確保して…とか考えずに
関数>乗除算>加減算の優先順位で
定義式が概ね式のまま書けるってのは数値計算するヒトには大層な福音であったかと…。
古いコンパイラの教科書で演算子順位法の解説をしてるページが結構長かったのも
その辺が理由かなと。

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