井上です。

"SHIMADA,makoto" <shimada181@184spam.yahoo.co.jp> writes:
>     そこまでして走らせなければならない列車なの
>    でしょうか? 「庶民の足」としてなら【日本海】
>    の方が重要だと思いますが。

「日本海」はかつて越後線を迂回運転したことがあると聞いたことが
あります。とはいえ、仰る通り問題なのはむしろ「日本海」「あけぼ
の」のヒルネ区間でしょうね。「あけぼの」の方は同じスジで「かも
しか」が代走しているようですが。

閑話休題。

今さらなのですが、実はわたしも上越線の列車内で地震に遭いました。
只見線から乗り継いだ上越線1745M、越後堀之内〜北堀之内間を走行中
です。いきなり列車が飛び跳ね始めたような感じでした。しばらくバ
ウンドしながら走行して停止、その後も列車は揺れ続けます。車掌も
運転士も事態を把握しきれていないようで、「何だ何だ!!」と叫びま
す。すでに送電は止まっており、非常灯だけがついています。

その後車掌の誘導で乗客全員最後尾の車両へ。全部で約30人ほどでしょ
うか、只見線からの乗客と浦佐にある国際情報高校の生徒が多いです。
運転指令との連絡もとれず、辛うじて連絡のとれた小出駅とのやりとり
でようやく事態が明らかになってきました。しばらくそのまま待機して
いましたが余震が收まらず、約40分後に車掌の指示で乗務員室から車外
へ脱出。線路上を約200m歩き線路沿いの空き地へとりあえず避難です。

ここで車掌が乗客の行き先を確認、来るあてのない救援を待ちます。周
りの民家の明りも消え、交通信号も消灯しています。乗客の内何人かは
歩いて目的地へ向かったようです。ここでも30分ほど待機したでしょう
か。

その後、住民に避難勧告に廻る地元の消防団の指示で、約1kmほど離れた
小学校へ乗務員ともども避難します。すでに地元の方々も集まっていて、
そこに合流させていただきます。しかし收まらない余震の不安から校舎
内には入れず、玄関前の広場に敷物を敷いて一夜を明かすことになります。
地元の方々はとても暖かく、大きな損害を受けた自宅から毛布や食べ物
をもってきて、突然の闖入者を迎えてくださいます。幸いにも隣りがたら
の芽の生産工場で、暖をとる廃材だけはたくさんあります。その間も乗務
員は指令と無線でやりとりしていますが、どうやら「安全な場所にいるの
であれば、そのまま待機せよ」ということらしいです。

わたしも両親が震源近くの栃尾市に住んでいるのですが、どうにかお互い
の無事だけは確認することができました。JRの社員が避難所を訪ねてきた
のは地震発生から約半日後の翌朝5時半頃、地元の方々の分も朝食を持って
きました。結局、「上越線列車代行」と掲出した救援バスがきたのは9時半
頃です。約20人ほどの乗客を乗せて越後湯沢へ、わたしは運転を再開した
新幹線で塩尻へ戻ることができましたが、長岡方面への乗客はまた越後湯
沢で足止めになったようです。長野経由で案内するとの説明でした。

車掌さんや運転士さんとも色々話したのですが、もう少し発生が遅ければ
トンネルで生埋めか鉄橋から転落だったようです。北堀之内発車後でなか
ったのが不幸中の幸いだったとのこと。直線区間だったので奇跡的に脱線
しなかったのも幸運だったと。

堀之内町(現、魚沼市)宇賀地の皆さん、消防団の方々、乗務員の方々、大変
お世話になりました。一日も早く安穏な生活が戻ることを願っています。

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塩尻市  いのうえけいいち