阿部@佐倉です。

In article <d9sjo4$hag$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>,
 Yasuyuki Nagashima <yasu-n@horae.dti.ne.jp> wrote:

> 「『表現の自由』や『言論の自由』なんて言葉は、たいていの人は憲法を連想
> する。だから、憲法での意味と違う意味や、憲法が出てくるべきじゃない場面
> で使って欲しくない。」
> 
> でしょ。佐々木さんも立木さんも。以前の作田さんとかも…。
> (目的ってのとはちょっと違うかもしれないけど)
> 
> だから、ここで使われる「表現の自由」「言論の自由」は
> 憲法での意味だってのは、いちいち説明されなくてもわかります。
> 
> むしろ分からないのは、阿部さんの目的です。
> どうも上記内容に異議を唱えているらしいということは感じるのですが、
> 何を問題視しているのか、分からなくなっています。

表現の自由という言葉より、もっと具体的な言葉を使って
議論しようよ、という点には同意しているという点は
前提として。

確かに、法的な争いになった場合、具体的に保障される
表現の自由の範囲は、「国家からの自由=表現活動に対する
公的規制の禁止」となるだろう。しかし、例えば憲法の表現の
自由から知る権利が導き出されたように、憲法という範囲に
限定しても、「からの自由」にとどまらない展開がみられる。

他にも、例えば社会的責任論の展開など、「からの自由」に
とどまらない展開がある。

現に、情報学事典は日本国憲法における表現の自由を
定義の初めに持ってこなかったことなど、具体的な法的
保障の範囲を超えた「表現の自由」という言葉の使われ方が
なされていて、それが必ずしも不当な使い方だとはされて
いないのではないか。

また、浜田先生が指摘した通り、「表現の自由の将来という
ものを議論するときに、伝統的な自由と規制の対抗という
字句だけではなくて、こうした情報技術の発展も踏まえた
大きな文脈の中で表現の自由というものをどのように社会
的に実現していくのか、そういう視点を持つことが重要である」
という考えも存在している。

この点に則して考えると「憲法での意味と違う意味や、
憲法が出てくるべきじゃない場面で使って欲しくない」
という意見は、こうした議論の存在すら認めないことに
ならないか。

そもそも、上でも引用した浜田先生の陳述は、佐々木さんの
いうような「表現の自由」の定義から外れた使用法をしている
のではないか。これについてはどう考えれば良いのか。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/keika_g/155_04g.htm

だいたい、以上のようなことが疑問です。

> で、どうも「憲法でのそれ以外の意味だってあるんだ」
> と主張しているらしいので、
> 「じゃぁそれをはっきりさせよう」と指摘しているのに、
> 阿部さんはどういうわけか、それを拒否し続けている…。

なんで拒否していると受け取られるのかなあ。
こじれちゃって、せっかく佐々木さんももう一回はじめから
道をたどろうというから、私もうんうん順序を踏んで考えて
いこうよ、と同意しているということだけなのに。

ルールを決める場面限定と捉えていたから、ルールを
決める場というのはどういう場なのという疑問を示した
訳で、(そういう場面の話ではないというという指摘には
必ずしも納得していませんが)ひとまず話を進めるために
その部分の疑問については撤回します。

ひょっとしたら、もう少し話を整理する必要があるかも
しれないけど、長島さんが示してくれたような文章が
示され、そしてこうした疑問を書き出してから、定義を
検討し、その疑問の適否を考えてゆくというのが順番じゃ
ないのかなあ。

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阿部圭介(ABE Keisuke)
koabe@mars.sakura.ne.jp
関心 ・専門分野 :
 新聞学(ジャーナリズム、メディア、コミュニケーション)