Re: 吉田 茂
小森 時男 wrote in message ...
>吉田 茂は偉大な政治家だったと思うねじれ国会どころか進駐軍がいて、現在のややこ
しさ位では無かったのだろう、しかし麻生首相が偉大とは言えない。
5回も首相になり国葬にも付せられたからといって
“偉大な”なんていっちゃいけません。
戦前の吉田茂は、確かに軍部に嫌われていたと言われますが、
だからといって平和主義者ではありませんでした。
彼は田中義一総理に直談判して外務次官にしてくれと頼みました。
田中が対中国侵略者であったことは周知の事実。
それだけ吉田も“対中国積極介入派”でした。
大して目立たなかった吉田は宮中の近衛文麿に近づきます。
近衛も軍部を嫌っていましたが、
日本にとっても決して有益な人物ではありませんでした。
盧溝橋事件が勃発するや直ちに大陸派兵を決め、
日中全面戦争、はては第二次世界大戦への口火を切ります。
無論吉田とてこれに反対する理由はありませんでした。
近衛は「国家総動員法」によって戦争遂行体制を築き、
「東亜新秩序」を声明して米英と対立し、一旦は辞職、
第2次近衛内閣は、政党を解散させて「大政翼賛会」へ、
「日独伊三国同盟」を結び、米国との話し合いもできませんでした。
その近衛と吉田はべったりだったのです。
吉田は戦後、サンフランシスコ条約締結に奔走した手柄人のように
伝えられていますが、これとて眉唾ものです。
戦前からの大物が戦犯などで次々と脱落していくなかで吉田や岸らが残り、
こいつらがが首相になる機会が訪れました。
時に米大統領となっていたトルーマンは昭和22年、
上下両院の合同会議で“反ソ反共演説”を行いました。
ドイツが東西に二分された主なる原因もそれでした。
米国の中枢は、次に来るのは中ソとの対立であることを予期しており、
戦略的に極めて重要である日本列島を虎視眈々と狙っていました。
実は吉田は戦前から根っからの“親英主義者”でした。
「日米単独講和」と「日米安保条約」とで合法的に日本を占領したい米国にとって、
親英であり従って白人崇拝者の吉田茂が相手では渡りに舟でした。
米国がソ連や中共の反対を無視し、他の友好国を説得することはいとも簡単でした。
斯くて、米国の永久占領下におかれる日本の悲劇が始まったのです。
小森さん、あなたは軍隊へ行っていらした方ですね。
先の大戦では、200万もの将兵が密林をさまよい、トカゲや蜘蛛を食い、
鼠をナマのまま食い、無念の餓死を遂げていきました。
多くの戦友のことを思うとき、
戦争へと導いていったお偉方のことを崇めるのはいかがかと存じます。
日本、そして日本人は、あくまでも全面講和を貫き、戦争廃止・軍備撤廃を唱え、
全国民挙げてその使徒となって各国へ出向き、世界のすべての人々を説得し、
この地球上に世界永遠の平和を樹立すべく、最大の努力を傾注すべきでした。
そして日本こそが平和の使徒として世界の指導的頂点に立つべきでした。
斯くあってこそ、太平洋の島々で死んでいった多くの日本人将兵に対しての、
せめてものお詫びと慰めになったのではないかと思うのです。
今なお密林の秘境にそして南海の底に眠る多くのみたまに対し、
心からのご冥福をお祈り申し上げる。
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