小泉の「民でできることは民で」「省庁別に金融機関があることはおかしい」という掛け声で、統合が決まった政府系金融機関の再編が発足した。
 あけてみると、トップは民からもっていて、すえているが、NO2の副社長クラスには天下りの高級官僚がずらりと顔を並べている。
 何のことはない、これでは、民営化を装った天下り傀儡政権みたいなものではないか。 

 統合のそもそもの意味は、効率化ということにあるはずである。支店の数を減らしてはいるが、その人間が残された支店に配属されたのでは全く意味がない。
 こういう効率化の対策は、経営コンサルタントでも雇って提案させ、それに基づいてやったほうが手っ取り早いのだ。
 また、この政府系金融機関の本来の役割は、民間銀行が融資を渋る中小企業に気軽に融資することであったはず、民間化して利益優先にしたら、その役割が果たせなくなる心配もある。
 ある小企業の経営者は「天下りがとうのこうの、というのはどうでもよいが、今まで通りに便利に融資してくれさえすれば良いのだ」と言っている。
 このことばに応えられる運営ができるのか。
 小泉改革のやることは、お体裁だけで非効率性は少しも変っていない。是非そうならないように期待したいが、できないであろう。
 村上新八