戦力とはなにか
このたびのファルージャは、旧イラク軍少将(地元有力部族の支族)らを送り
込んだ。米軍は撤退を徐々にはじめているようだ。
世界最強の軍事力をもってしてもファルージャを攻めきれないこの現実は、戦
力とはなにかを考えるよい機会だ。
まず、イラク民衆の反米、嫌米感情は、何人殺されようと暴力では転向しない
ものだ。皆殺し以外に排除する方法はない。
人民の感情、意志、これそのものが戦力であるということを証明している。
わが国は、どうか。
改憲による海外での戦闘参加、これのみを戦力とみなしている国民がほとんど
だが、ひとりひとりの政治的意識は、戦力とみなされていない。
改憲をいい、戦力増強をいうならば、日本国民の政治的意識の高揚を実現する
ことが先だ。こういえば、すぐにファシストが小躍りする。しかし、ファシズ
ムへの政治参加ではなく、民主主義の政治的意識の高揚を実現することがわが
国の進路を正しく導くものだ。
実現するためには、もっとも大切なことは、民主主義とは何かということをテ
レビ、新聞、評論家たちは、まるで話題にしないで社会問題や国際問題を報道
し、あるいは論じているが、このような焦点のいいかげんな報道姿勢はやめさ
すことだ。国民は民主主義とは何かということを、知らない。池田君のように
手続き民主主義がすべてである(多数を占めればなんでもしできる)という考
えがいかに反民主主義であるかを国会も国民もマスコミを点で問題にしていな
い点がポイント。
1.民主主義は、少数意見といえども、忌憚なく多数派意見を批判する機会を
十分にあたえられ、少数意見が多数派に成長する可能性を保障するもので無く
てはならない。
この点でいえば、完全情報公開の思想は不可欠である。ただしい主体的選択は
制限した情報の場では実現しない。
君が代などという血塗られたものを国歌に制定するなどという多数決による強
制は思想の弾圧であり、国民の多数の反対を国会という手続き民主主義で封じ
込めた反民主主義的なファシズムそのものだ。なぜ、反対者の思想信条の自由
という基本的人権を弾圧してまで、君が代を国歌に制定できたかというと、日
本には、「少数意見といえども、忌憚なく多数派意見を批判する機会を
十分にあたえられ、少数意見が多数派に成長する可能性を保障するもので無く
てはならない。」とする民主主義がないからだ。
2.民主主義は、個人の責任ある主体的選択をおこなうものでなくてはならな
い。
この点でいえば、棄権や、層化学会の口迷党への白紙委任状的投票は、本来な
らすでに崩壊している自眠党政権を生きながらえさせている反民主主義の現象
だ。つぶれるべき銀行がつぶれないから経済は狂う。つぶれるべき政党がイン
サイダーで生き残るからマーケットが機能しない。
民主主義という視点で見たとき、公僕精神をかなぐり捨ててる池田君のような
ファシスト吸血鬼は、懲戒免職が筋。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735