チベット騒乱で、死者は10人とも100人ともいわれる。チベット亡命政府と中国の新華社通信との差だから、双方ともに過大、過小表示はあるのであろう。
 騒乱が発生した14日というのは、59年にラサで騒乱が発生し、ダライ・ラマがインドに亡命した日だから、当然予想されていたはずであろう。
 中国は、「これはダライ・ラマ一派が糸を引いたものだ」としているが、そうだとしても、大多数のチベット人が異民族、異教徒の漢民族の支配を跳ね除けたいと思うのは自然の情念であり、この騒乱も、特に切っ掛けになるような事件があったわけでもないから、自然発生的なものとみるべきである。
 とすれば、今回、鎮圧されても、今までと同様に今後も繰り返されることは確実であろう。これに対して中国は益々締め付けを厳しくするであろうが、厳しくすればするほど、それに対する反発は一層激しくなると思わねばなるまい。
 平穏なデモで激しい弾圧を下す非民主的やり口はミャンマ−の軍事政権と同じだが、国際社会の非難はミャンマ−に比べて穏やかだ。
 これも各国が国益を配慮して、ということであろうが、国際社会の正義とはこんな程度のものなのだ、と知るべきである。
 チベット人よ、負けずに頑張れ!
 村上新八