古寺です。

SHIMADA,makoto さんは書きました:

> Shin'ichi Ichikawa さんは書きました:
> 
>> 近鉄に縁がないので、乗りに行かないといけないですね
>> 標準軌と狭軌、特殊狭軌があるのでしたっけ?
>> お勧めの路線・列車種別があれば、教えてください > 皆様
> 
>     どれをお勧めしていいのかわからないので
>    近場で一つ。近鉄難波行き奈良線特急の右側
>    窓側席から眺める大阪平野(へいや)。ジェット
>    コースター気分(ちょっと大袈裟?)が味わえ
>    ます。

なんべんか書いてますが、関東人的には、大阪の中心を離れて間も
ないのに生駒に向かってグングン登りだす方がインパクトが有るよ
うな気もします。自分だけかもですが。
関東だと地下、ついで高架の上り下りに極端な短い急勾配が有る他、
山手エリアが密集地内としては(台地を川が削った事で)「坂」に
類する物が多いくらい。
山地っぽいのは秩父とか箱根にとりついてやっと現れるようなもの
ですからね。箱根はいきなり登山電車ですが(しかし神鉄は近いって
言えば、箱根登山湯本以遠が通勤圏に有るようなカテゴライズか?)、
私鉄幹線が山に取りかかるといえばまず東武日光。ついで開業時に
一般にインパクトが有った西武秩父線くらいです。後者は近代的な
長大トンネルで勾配が緩和されてる感も有りますし、単線だし。
どっちも東京圏なだけに通勤者は居るでしょうけど、市街どころか
郊外も外れたような場所ですしね。

自分好みの登ってく側でも、見晴らしのインパクト、生駒で高度が
揃う現けいはんな線新石切付近が、地上に出る部分含めてはるか眼
下に見える事...最初の10年くらいは飽きずに無理矢理用事作って
でも通ってたような気がします。石切神社で初詣しつつ新石切から
戻るとか、バリエーションも付けられますしね。竹田さんの書かれ
てる鋼索線も近いし。
新石切まで歩いた(高低差で遠く見えるが、降りてく分には案外楽だ
し、平面距離は近いですね)りを含めて東大阪線(当時)で戻ったり、
西大寺から北上してったりで、奈良から勾配を下って行ったのは1/4
回くらいしか有りません。連続で抑速のモーター音が響き続ける印象
は、現けいはんな線の方が強く残ってます。新石切までで平地に降り
切ってしまうので、太く短いはずですが。

>    # かく申す私もまだ近鉄完乗は成し遂げて
>    # おりません。

路線網的には案外単純な方ですよね。学生時代、大糸線方面とか飯
田線方面集合なのに(ちょうどビスタ3世ブームだったか)、賢島まで
抜けて帰りは揖斐まで北上したりとか...を済ませてたせいか。
乗り潰しはほとんど意識しない方なのに、鋼索線含めて現存路線は
信貴山方面と吉野口から先、湯の山しか(しか?)ネタが残ってません。
最近はブラブラするにもモチベーションがというか...
学生時代に足を伸ばして来た頃の様に、支線区がツリカケや小型車だ
ともうちょっと面白みが有ったのでしょうけど。こっち来た後の、画
一的な4扉車で行く生駒線とか、乗っても早くつかないかなぁな感じで。
走りを云々する路線じゃないですし。長野線も生駒線と同印象ですね(^^;
田原本線も学生時代の初乗り時は車が小型車でしたけど、こっちきて
からの乗車は「おさらい」って印象になりました。西田原本と田原本
の乗換えは、自分的に昔の石巻を彷彿とさせる物は有ります。

車両が画一化すると、ベッドタウン化したとこは立ち寄る動機が有る
駅に乏しいというのもあるのかな。
といいつつ、湯の山、信貴山、吉野と南海の高野は、なんか観光で来
ないと変か?と構えてしまって、一人でブラリな機会が未だ無し。
車両にもうちょい変化が有れば別なんですが...
子供が電車往復で物見遊山に付き合ってくれる距離が年々短くなりつ
つある影響も(下が大きくなったらと思ってる間に、上の子があっち
こっち行く興味を失ってしまった)。

養老線も伊賀線とともに分離されちゃったんでしたっけ?
学生時分は1列車で所要6〜8時間の国鉄客車鈍行とか使ってたんで
なんてことない距離でしたが、今だとちゃんと(?)養老の滝とか絡め
て行かないと飽きるかも。
先に分離されてた北勢線もダイヤ的には乗りづらいもんが有りました
よね。何かのついでに寄ろうと単純往復で入って行くと戻りに数時
間、阿下喜から伊勢治田へ歩くのも夕刻に掛からないように行かない
と心細くなるし。