古寺です。

kuno@gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp さんは書きました:

>   今日、生まれて始めて静岡鉄道に乗りました。草薙→新静岡。あの車

意外?な所が死角だったんですね。と言っても、私も東西往復の中で案
外静岡県内って寄りにくいなぁって実感してる所ですが。

#あと大井川だけが学生時代以来ほったらかしで、おさらいできない...

> 両、元は東急7200なんですよね? 運転室、ダイヤモンドカットを切り落
> として平らにしたような非貫通ですけど。元の7200の先頭は好きだった
> のに…
> 
>   全部2連で McTc ? ですが、そのため先頭化改造なんかもしたんでしょ
> うか。

いやもう、あれ全部独自発注の完全新車です。
東急の現5000系がE231系と共通なのと極めて近いというか、その手の
さきがけみたいなものですかね?
日本車輌あたりも「標準車」みたいなものが有りましたし、1950年代
中盤あたりに、地方私鉄向けロマンスカー(←当然当時は一般名刺で
小田急関係無し:むしろ名鉄のSR=スーパーロマンスカー5000〜系に
近い設計)という商品シリーズ?まで有ったそうですが。
ステンレスは基本的に大手向けが多く、大手のプライドのせいか結構
苦心して?変える(南海とか井の頭のとか)が普通だったんで、あの
「まんま」は日車標準あたりと違った新鮮さが有りました。
私の場合たまたま、1973か74年にピクトリアルを初めて購入した号(17m
国電特集だったのはハッキリ覚えてる)のローカルニュース欄に、この
電車が新車としてまとめて甲種回送されてく1コマが掲載されたのを覚
えてまして。7200じゃないかと、それは驚きました。
先頭が電気機関車、後尾が「ヨ」で、正面ヅラが全く写って無かった
んですね。おなじみの「くの字」が何両繋がってたかなぁ...
1980年頃のRJ別冊日本の私鉄上・下あたりですかね、正面を知ったの
は(^^; エー何この顔!?ってまた驚きました。

機関車とヨに挟まれた横面だけの印象で残ってるのが、Tcの台車がパ
イオニア台車で無い事。この時期東急では7200〜8000にかけて、Tcの
みディスクを内に引っ込めたパイオニア台車が残ってました。
この頃まだ全車非冷房で、7200〜8000一次車と同じ通風覆い(昔、通
風器の解説記事で、東急の新性能車のそれは通風「器」と呼ぶに値す
る機能がないただの覆いだと言われてたので、こう書いておきます)。
あと側面急行表示が光る奴だったはずで、製造時期のせいか8000が混
じってるなぁと思った物です。後に正面非貫通の顔を知った頃に同じ
く知った所ではワンハンドルマスコンであり、全電気指令ブレーキで
有りってことで、やはり8000系混じりだなと。
ただし非回生で、調べ直してみればいまだ600Vのままだそうで、東急
同世代の回生付き複巻と異なり、普通に直巻モーターでしょうね。

静鉄って案外経営基盤がしっかりしてるのか、この車両の前にも鋼製
カルダン車を自社工場製造してまして、比較的新しい車が居ました。
そのためむしろ完全代替には長期間掛かって、'80年代まで増備され
ていたと。増備の真ん中あたりでツリカケ台車流用の近代車体のが
日立電鉄へ、最後にほぼ同ボディのカルダン車がクロスシート化され
て福井鉄道に転出しています。この辺の時代まで下がると、7200の
譲渡も受けられるんじゃないか?って頃で、一緒になったら面白いと
思ったんですが。回生付き複巻を600Vに落とすのは厄介だったかも
しれません。

#京阪では600Vの回生付き複巻を、1M式→MM'式にしながら昇圧対応
#してたような... 1Mで1500Vを下げるのだと、その逆はたどれないし。
##それ以前にちゃんとコンスタントに新車を買うお金が有ったので
##しょう。

>         7200にも中間車は結構あったような気がしますが。       久野

目蒲線の紅一点7260に1両と、東横向け高MT仕様3M1Tが数本あって、
その中間ですね。目蒲線池上線転出時点で、3M1T仕様の補機を持た
ない中間Mに発生品のMG/CPを搭載し、2連に移し組み込んで3連を増
加させたので増えたような錯覚が有りました。
静鉄の非貫通先頭車がこれの改造ってほどの両数は無いですね。

> P.S. カブリツキしてると池上線あたりに乗っている気分。構内踏切だ
>      らけだし一般踏切の中央から入る駅もあるし。ま、大井町線も似
>      たようなもんだと言えるかも知れないけど。

3年ほど前ようやく再訪しましたが、急行退避設備が惜しい感が有
ります。全普通でフリークエントは確保されてますが、ほんとよく
停まりますよね。