Path: ccsf.homeunix.org!shiino.jp!mmcatv.co.jp!news.mcu.or.jp!navi.honnet.co.jp!news.gw.fukushima-u.ac.jp!news.tains.tohoku.ac.jp!news-sv.sinet!ns04b.ous.ac.jp!nd-os001.ocn.ad.jp!news-gw2.ocn.ad.jp!news-wst.ocn.ad.jp!not-for-mail From: "SHIMADA,makoto" Newsgroups: fj.rec.rail Subject: =?ISO-2022-JP?B?GyRCOzBMWkU0Rjs+aCRqRzwkYRsoQg==?= Date: Mon, 15 Oct 2007 21:35:26 +0900 Organization: NTT Communications Co.(OCN) Lines: 66 Message-ID: NNTP-Posting-Host: p12088-adsao01kyotmi-acca.kyoto.ocn.ne.jp Mime-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP Content-Transfer-Encoding: 7bit X-Trace: newsnn-ios01p.noc-kinrakuji.ocn.ad.jp 1192451761 26380 218.230.158.88 (15 Oct 2007 12:36:01 GMT) X-Complaints-To: usenet@ocn.ad.jp NNTP-Posting-Date: Mon, 15 Oct 2007 12:36:01 +0000 (UTC) User-Agent: Thunderbird 2.0.0.6 (Windows/20070728) Xref: ccsf.homeunix.org fj.rec.rail:5295  嶋田@京都です。  一昨日(10/13)、三木鉄道と北条鉄道に乗りに行ってきました。「鉄道の 日記念西日本一日乗り放題きっぷ」を買ってしまい、その使用期限が 「鉄道の日」である10/14までだからです。  両鉄道とも三セク転換直後に乗りに行ったのですが、それから22年間 ご無沙汰でした。三木鉄道が来年4月に廃止される予定なので今のうちに 乗っておこうというわけです。  非情な言い方になりますが、そもそも三木鉄道は三セク転換する意義が あったかどうかも疑問な路線ですから今日まで走り続けたのが奇蹟の部類 かと思います。  三セク転換後、厄神で加古川線に繋がっていたレールは切り離されて 加古川直通ができなくなるという悪条件を背負ってのスタートでした。  転換後、駅の増設や車両の取り替えなどの努力も空しく廃止が決まって しまったわけです。  車両はセミクロスシートのミキ300形で、たった6.6kmの路線には もったいないぐらいのサービスレベルですが、皮肉な見方をすればその 程度の輸送力で十分以上に間に合っている、ってことでしょう。3両配置で 1両だけが稼働し、後の2両は三木の構内で昼寝していました。  多少なりとも三木鉄道の収入になるようにと「お別れグッズ」のうち、 キーホルダーと携帯電話器ストラップ、硬券入場券セットを買いました。  ご多分に漏れず運賃は車内収受で乗車券は発売していないのですが、 沿線の別所駅の近くにあるマックスバリュなる郊外型大型量販店への 送迎バスが廃止になったとかで、その代替措置として別所までの往復乗車 券を割引(三木−別所間は片道170円を150円に割引)で売っているという ので買い求めたところ、これが何と普通の回数券を2枚セットでバラ売り しているだけの物でした。それでも切符が入手できたので大満足です。  その別所で降り、あたりを散策してもう一度三木へ戻り、さらに厄神へ 戻りました。沿線はそこそこ人口もあり、過疎地ではありませんが、 クルマ社会であること、神戸に出るには神戸電鉄があり、加古川に出よう にも厄神で乗り換えを余儀なくされることを考えれば客が付かないのも 無理はないでしょう。まだ車齢の若い車両たちの行く末が気になります。 乗客も土曜日のせいか地元の人はほとんどいなくて「乗り鉄」ばかり でしたが、それでも数人と「廃止フィーバー」には程遠い状態でした。  次にもう一度加古川線に乗って粟生へ行き、今度は北条鉄道に乗り ました。こちらは三セク転換時に導入された2軸レールバスのフラワ1985 -1で車内は三木鉄道とはうって変わって中学生、高校生で満員でした。  途中駅での乗降もかなり頻繁で近くでありながら三木鉄道との違いを 感じました。終点の北条町には今の主役である2000年に導入されたフラワ 2000が2両留置されていました。折り返しの間に運転士が乗客に「次の 列車は違う車両になる」と言っていたので途中駅で降りて撮影することに しました。適当な駅を物色したところ、昔は交換可能駅であった法華口が 良さそうなのでそこで降りました。もっとも駅舎は台風で屋根瓦が半分 ほど飛ばされ、しかし修理する費用も無いということでビニールシートを 被せたままになっていました。  ここで粟生へ行って帰ってきたフラワ1985-1を撮影して見送り、お出 ましになるであろうフラワ2000を待ちます。待ち時間の間、駅舎内の掲示 物を見ましたが、その中に終戦直前に起こった脱線事故の記事がありまし た。戦時中、近くに軍の鶉野飛行場というのがあったのですが、そこを 飛び立った戦闘機の紫電改が墜落したのです。終戦直前とあって整備不良 だったのでしょう。で、運の悪いことに墜落した時に尾輪で北条線(当時) のレールをひっかけてしまいレールが曲がったところへ運の悪いことは 重なるもので3分遅れてきた列車がさしかかり機関車(たぶんC12)は脱線 して田圃に転落。牽引していた1両の木造客車はその上に乗り上げて大破。 多数の死傷者を出したそうです。しかし、戦時中のこととて「軍事機密」 として公表されることはなく、この加西地区で起こった最悪の事故は 郷土史の中に埋もれてしまったそうです。  やがて期待通り、次の列車はフラワ2000-2でした。それを撮影して 見送り、もう一度北条町へ行って帰ってきた列車に乗りました。三木鉄道 のミキ300形と同じ車体ながら、こちらは路線も長いのに多客に対応する ためかオールロングシートでした。 /------ 嶋田 誠 (SHIMADA,makoto) -------------- /______ e-mail: ogs1983@coda.ocn.ne.jp ______ ○○ ■■■スパム除け加工施工済■■■ ○○