ichiro,s wrote:
> “北の核には(日本も)核で対抗するしかない”
> 
> どうしてこうも対抗心をかきたてようとするのだろう。
> 一見弱そうな相手に対しては、闘争心を剥き出しにして
> 好戦姿勢を露わにする習癖が、悪しき“伝統”を持つ
> 日本の一部の勢力に根付いているらしい。
> 戦争が起きる可能性があるのなら、それら関係国と膝を交えて
> とことん話し合うのが先決ではないのか。
> 
> 右翼的煽動者中心勢力の本心は、彼等にとって恰好のターゲット
> である北が、従来の北でなくなることが一番困るのであろう。
> 北は、従来通りの“危険な北”であって欲しい、そうでなければ、
> 自分達のイデオロギーが広がらない、そういうことなのであろう。

なるほど、人間性という観点で見ると一層の程度の高さが匂ってくるようなご意
見ですね。

> 一見弱そうな相手に対しては、闘争心を剥き出しにして
> 好戦姿勢を露わにする習癖が、悪しき“伝統”を持つ
> 日本の一部の勢力に根付いているらしい。

この苦言は同じ日本人としてかなり耳の痛い話ですね。でも今はわたくしはそう
は思わないのです。国際関係も、いうなれば確かに「人と人との関係」にも比せ
られはするが、実はそうではない。一対一の人間関係とは異なる。

次に、「交戦姿勢を露に」しないで「関係国と膝を交えてとことん話し合う」こ
とをし続けて60年であります。この間日本国民が得たものはなんだったのか。得
体の知れない表情をさせられて顔の形も変わってしまいました。ichiro,s氏の言
われるように、極めて精神的にその意味でわけの分からない難しい姿勢を採る必
要があるのでしょうか。そもそも「膝を交えてとことん話し合う」と言っても相
手がそう思わなければ成り立たない話ですね。それでもと言うのは日本人だけで
あって国際社会では理解のできないことでしょう。しかも、難しい手法をとった
からと言ってよりよい結果が約束されるはずのものでも無い。天皇陛下の時代と
一向に変わらない、逆精神教育に他ならないのです。こんなことに耐えたからと
言って国際社会が善解することはまずない。グローバル化とは背反する姿勢ですね。

もしかしたらもっと単純なところに問題の所在があるのではないか。<基本的な
こと>を<基本的に行う>、これだと思うのです。対抗勢力が核を持ち身構える
のであれば、こちらもそれに見合った準備をする、一向におかしなことでも無い
し、国際社会も理解できることでしょうし、むしろ、その<基本的なこと>が資
金がなかったり、国民の労を惜しむ心があったりで実行できないことこそを国家
としては問題視しなければならないのではないか、こう思うようになったので
す。それでも、どうしても日本国民を神様や仏様に見立てたいと言う向きの方
は、恐らく、国際政治を人間性追究の場と考え、玄人的哲学的遊び心で以って遊
んでいるに過ぎないのではないか。そして、その悠長性は国際的音痴の裏返しに
他ならないと。
>
> 右翼的煽動者中心勢力の本心は、彼等にとって恰好のターゲット
> である北が、従来の北でなくなることが一番困るのであろう。
> 北は、従来通りの“危険な北”であって欲しい、そうでなければ、
> 自分達のイデオロギーが広がらない、そういうことなのであろう。

なるほど、それも無きにしも非ず。しかし右翼どうのと言うのは主として国内で
問題とされること。ある他国が「核を持つ」と言うことはそんな問題かね?それ
が日本をめがけたものである可能性がある限りそれへの対処を怠らないことが基
本なのです。

日本人は、自己のみが優れた精神力を持つと言うようなうぬぼれをまず捨てなけ
ればならない。どの国民も皆一緒、ここから出発し、国家の目的とは外れたこと
に惑わされることなく、それらへは基本的に為すべき対応策を施し、経済活動、
文化活動、福利厚生、教育、研究、心の開発、生活環境の改善、そういうことを
追及することに力点を置く国家を目指さなければならないのです。