はじめに、民族性についてですが、
これは、おかれた環境によって培われ、育まれるものではありませんか。
それを、悪であるかのごとく論じることに意味があるとは思えません。
世界中に、まともな国家などはなく、どの国も特有で、内に憂いを秘め、病んでいます。 

そして、そこに生きる民族もまたしかりです。

次に、歴史の中に、犯人や責任を探すのは無駄なように思います。
例えば、イラク戦争の責任と歴史的評価を記者に問われたラムズフェルドは
「そのころには、生きていない。今よりも、高い評価になっていることを望む」と答えました。
彼は、ネオコンの一人で、リアリスト派とは一線を画すものと承知しておりますが、
それでも、これほどに現実的ではありませんか。
私たちは、彼らと同じ時代を生きています。
歴史や過去に逃げ込まずに、
今、誰が権力を持っていて、
その者はなぜ解決できないのか、あるいは、しないのかを考えるべきではありませんか。 


例えば、国内の政治勢力が二分していて、ガチンコの戦いをすると、
エネルギも使うし、相手を倒すために、己の身を削らなければならない。
それより、『口げんか』で、人気取りができるのならば、その方が楽でよい。
そのように、見えて仕方がありません。
シナ・中共や北鮮に熱心な為政者、総理や都知事がその代表でしょうが、
決して、自らが傷つくことのない、安全地帯で人気取りができるツールとして
クダンの相手と『口げんか』をしているに過ぎないと思います。
彼らの、政治心情など、おたわ言ではありませんか。
なぜなら、与党は300議席を持っていて、やろうと思えば、何でもできますよね。
しかし、やっている振りをして、アメリカの軍需産業とコミットし、
現状を維持することに汲々としているではありませんか。
これは、日本の独立自存に反しませんか?






アングロサクソンの革命国家のアメリカは、
いつ、イギリスに再度の侵略をされるかもわからず、怯え続けてきたでしょうし、
国内には、原住民との戦いなくして、開拓もなかったわけです。
アメリカは目的のためには、