8日のサンプロで、で放映されたイラン和解案提案の経緯は次ぎの通り。
 03年、米軍がバクダッドを占領した直後に、テヘラン駐在のスイス大使を通じて、米国務省にイランから一通の文書が届けられた。
 その文書は、イランがイスラエルを承認とパレスチナのハマスへの支援を停止し、核開発の全容を公開すること、その見返りとして、経済制裁の解除と、原子力の平和利用を認めることが記されていたという。
 この文書については、当時のア-ミテイジ国務副長官や関係者もその存在を認めているのだから真実なのだ。
 これは、パウエル国務長官からホワイトハウスに提出され、チェイニ−副大統領、パウエル国務長官、ラムズフェルド国防長官、ライス補佐官らが、回答の可否を協議したが、チェイニ−、ラムズフェルドが猛反対して無視することに決定したという。
 この文書が最近発見され、議会の公聴会でも取り上げられたが、ライス国務長官からは「知らない、見た記憶がない」として一蹴された。
 アメリカのイラク電撃攻撃で、わずか2Wでバクダッドが制圧されたことに、イランが驚き、次ぎはイランがやられかねないと心配して、この和解案を提示したものであろうと推定されている。
  ここで、アメリカが従来の経緯に拘らずにこれを受け入れていたら、アフマディネジャドの大統領当選もなく、今日の事態はかなり変っていたであろう。が、その翌々年の6月には、「汚職と西側からの有害な影響と戦う」と言明して出馬した強硬派アフマディネジャド大統領が当選、このような和解の方向は絶望的になったのである。
 これもブッシュ政権の大ミスであることは間違いあるまい。この主犯はチェイニ−だ。 

 村上新八