ぐっちです。
人生も終わるころになると、いろいろと錯覚してたことが、
やっと解ってくる。
愛してる、いやそうじゃない。錯覚だった。
ヘッドアップ、いやそうじゃない。軸を崩さない事だ。

どうして、見ず知らずのおいらを泊めてくれたり、
夕飯御馳走してくれたり、あの人も錯覚してたんだ。

奥飛騨の奥穂高から、一重ケ根温泉まで歩いてたら、
乗せてくれた人、せっかく歩いてるのに、錯覚だな。
月明かりだけが頼りだったからかな、