古寺です。

Shin'ichi Ichikawa さんwrote:

> 3/4(土)に内原電流線を 415 系 鋼製車の車窓から
> 眺めてきました
> 
> 4/23(日)の「水戸行きの切符を買ってから」という記事で、
> 「内原の新しい電留線に E531 がいました」とだけ

そうでしたっけ。失礼しました。

> 書きましたが、あの広大に見えた土地に建設したわりには
> あまり規模が大きくないように思いました

もともと幅は無いですよね。単に上下線間の離れた複線として見る
と、なんて無駄な土地の使い方と思う位、間が空いていますけど。
ああいう挟み込みタイプは、出入りで平面交差支障が無いせいか、
旧国鉄の本線系統では結構見られます。東京だと、東海道本線の
田町〜品川で、田町電車区と品川客車区と東京機関区(って、今の
名前は覚えてない)が、いきなりそうで。
しかし線路を交差しての、敷地出入りの通路を設けたりとか、拡
張に支障しやすい欠点が有って。山陽の網干なんぞは、工場機能
を持たせた総合車両所に格上げする際、上下線をもとの上り線側
にまとめてしまいました。
ここは名古屋地区の神領なんかと同じく(野洲も多分そう)、本線
を複々線にしても良いくらいの用地を取ってあったので、あっさ
り寄せられていました。
と、ここに挙げた上下線間基地と比べても線間は、それほど開い
て居なかったように思います。

> 我孫子や土浦を見慣れているせいでしょうか

土浦は、あれよあれよと言う間に大きくなりましたね。
くだんの記事に依ると、内原は長さ方向には余裕が有るようで。
勝田では10両(従来、E501が該当)を分割して車輪転削線へ入れて
いたのが、固定編成を割らずに可能となったそうです。
勝田は、交直流電車の最初の配置区となり、そのため本来東北用
の急行形電車(常磐線運用は入出区の間合いだった)が当初配置さ
れて広域運用した規模からすると、意外なほど手狭でしたし。
下り線外方に出た形態で、線間に挟まれては居ないんですが。私
が同方面に着任した頃には、とっくに回りを宅地に囲まれていて。
これ、急行形電車などが入り出した昭和30年代でも、拡張困難だっ
た(田畑じゃなかったのか?)んだろうかと首をひねった物です。

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さらに「そういえば」な余談ですけど。交直流急行形は、MT46で
抑速も無い451系に始まり、MT54の453系と続き、455系で抑速付き
となります。出そろった時点で、前2系列が主に常磐、抑速付き
の455は仙台配置で東北本線と、仕様に合った用途に分かれていた
ので最初からそうかと思ってしがちですけど。
実際には、MT46抑速無しな451系から、主目的は東北本線急行用
だったんですよね。ややこしい。東北本線の直流急行タイプが、
日光準急157系がMT46、165系MT54といずれも抑速付きなのに、よ
り広域を運用する仙台方面直通用が抑速無しでの投入だったとは。
もちろん、451系は153系世代なので、165系より古いのですけどね。

#決定版の455系が出て、抑速無しが常磐に落ち着くような感じ。
##過渡的には、453系はかなり仙台地区に残っていたような覚
##えです。

これについてはおそらく、157系が抑速付きなのは東北というより
日光線内の必要で。453系のタイミングで直流用の165系が登場し
てるのは中央・上越線に仕様が引っ張られた感じで、有名な「サ
ロしか作られなかった163系」不発のために、交直流用と非対称
になってるのではないかと。

#サロだけ163系と、1ユニットだけ473系(60Hz)は、近い事情が
#有ったかも。

451系から、Mc-M'ユニットで高MT仕様というのは、157系と揃い、
直流平坦向けの153系とは異なっていました。